929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。
修行者は、自らの人間的思考の運動(損⇔得)を制し、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。このように中道を保つべきである。
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929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。
修行者は、自らの人間的思考の運動(損⇔得)を制し、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。このように中道を保つべきである。
928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。
修行者は、非難されても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、くよくよしてはならない。称讃されても、人間的思考の運動(高揚⇔消沈)を制し、高ぶってはならない。両極端を掴もうとする貪欲(とんよく)と掴んだ慳(ものおし)みと掴めない怒りと悪口とを除き去れ。
927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。
わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いなどを聞いても心が動揺してはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術についても同様である。常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ中道を保ち現象の観察に努めよ。
926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。
多く眠ってはならぬ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することを熱心に努め、目ざめているべきである。思考の運動を止める事をものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。常に中道を保つのである。
925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、こころを安定させよ。両極端をうろついてはならない。思考が運動して後で後悔するようなことをやめよ。思考の運動を止める事を怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は中道を維持し、閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。
924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。
食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。このような場合にも自らの人間的思考の運動(安心⇔不安)によく気をつけて修行を進めよ。
923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。
苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。思考の運動(快⇔不快)を止めて観察をするのである。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。このように常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ観察に努めるのである。
921 〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、みずから体験したことがら、危難の克服、を説いてくださいました。ねがわくは、正しい道を説いてください。戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。」
922 〔師いわく〕、「眼で視ることを貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。
〔師いわく〕、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、「眼で視ること「美⇔醜」を貪(むさぼ)ってはならない。卑俗な話「快⇔不快」から耳を遠ざけよ。味に耽溺(たんでき)「美味⇔不味」してはならない。世間における何ものをも、両極端を掴もうとし、わがものであるとみなして固執してはならない。
920 海洋の奥深いところでは波が起らないで、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。
海洋の奥深いところでは波が起らないで、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、静止しているように、静止して不動であれ。修行者は何ものについても欲念をもり上らせてはならない。
919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。
修行者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、心のうちが平安となれ。外(現象)に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。どうして捨てられるものがあろうか。