視点集

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スッタニパータ 785 (第10の視点)

スッタニパータ785詩句から読み解く、第10の視点。諸々の事物への固執が自身の運動の癖であることを知った上で、なお執着を超越することの難しさと、偏執の中に留まって快不快の運動を立ち上げ、物事を斥けたり執ったりする習性について、修行の本質を記録。
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スッタニパータ 784 (第9の視点)

スッタニパータ784詩句から読み解く、第9の視点。人間的思考の運動を立ち上げたまま汚れた見解に偏り、自己の優位を求めることは、思考の運動がもたらす揺らぐものや両極端な状態への執着であるという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 783 (第10の視点)

スッタニパータ783詩句から読み解く、第10の視点。人間的思考の快・不快の運動を止めて中道という平安に至り、戒律を誇ることなく安静を保つ修行者は、煩悩が燃え盛ることのない高貴な人であるという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 782 (第9の視点)

スッタニパータ782詩句から読み解く、第9の視点。人から尋ねられていないのに戒律や道徳の遵守を言いふらす行為は、人間的思考の運動(快・不快)を止められない証である。真理に達した人は、そのような者を「下劣な人」と語るという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 781 (第10の視点)

スッタニパータ781詩句から読み解く、第10の視点。人間的思考の運動(快・不快)を止められず、欲や好みに捉われている人は、自らの偏見を超えることができない。かれは、思考の運動による分別がもたらす偏見を完全であると誤認しており、知るにまかせてその考えを語るという修行の本質を記録。