怒りと虚言と疑惑、ーこれらのことがらも、人間的思考の運動(快⇔不快)である快と不快との二つがあるときに現われる。疑惑ある人は中道の眼に学べ。修行の達人は、真理を知って、諸々のことがらを説いたのである。」
怒りはどのような時に現れるのか?人間的思考の運動(快⇔不快)によって快が得られない時あるいは不快を掴んだ時に起こる。虚言はどうか?やはり人間的思考の運動(快⇔不快)による快を掴みたいが故に虚言を言いあるいは不快を掴みたくないが故に虚言を言う。疑惑とは人間的思考の運動(快⇔不快)によって自分の意見と相反するとき不快を感じる時に疑惑が起こるのである。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を歩むものにこれらの事柄は起こらない。そのように師は言われた。