師(ブッダ)は語った)、「われは(昔さとりを開こうとした時に)、人間的思考の運動(愛⇔憎)がもたらす愛執(対象への執着)と嫌悪(けんお)(思考の運動による愛⇔憎の運動)と貪欲(とんよく)(対象を求め続ける事)(という三人の魔女への例え)を見ても、かれらと淫欲の交わりをしたいという欲望さえも起らなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触(ふ)れたくないのだと観想して、それらへの想いを退けたのである」
人間を輪廻転生させる代表的な想いに人間的思考の運動(愛⇔憎)がある。いわゆる愛と憎しみの運動である。その愛の対象に対して、もしも裏切られたならばそれは憎しみへと変化する。あるいは、自分の想いが通じなかったときも同様である。また、その想いがかなったならば、この世おける最上の喜びを感じる事が出来るであろう。故に人はそれらを追い求めて輪廻するのである。しかし、この世は無常であるからその想いは儚く崩れ去るのみである。修行者はそれを知ったならば、それらの人間的思考の運動によく気をつけその想いを立ち上げることなく世の中を遍歴し遂には彼の岸へと到達したのである。
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