またかれらは人間的思考の運動(勝⇔負)を制し、対立を離脱して行い、物事をアあるがままに見、一つの見解を[他の]諸々の偏見と抗争させない人々なのであるが、かれらに対して、あなたは何を得ようとするのか?パスーラよ。かれらの間で両極端がもたらす「最上のもの」として固執されたものは、ここには存在しないのである。
お釈迦さまが説かれた中道の修行というものは、比較対象することが無い。なぜならばその比較対象しようとする想いを制する事こそ中道だからである。故に修行者は、その他の修行者と比較する必要なない。ただひたすら自らの思考の運動に注視し、その運動を止め、日々練磨する事こそお釈迦様の教えなのである。
コメントを残す