自らの人間的思考の運動(優⇔劣)を立ち上げて『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣(おと)っている』とか考える人、ーかれはその思いによって論争するであろう。しかしそれらの三種に関して動揺しない人=人間的思考の運動(優⇔劣)を制する人、ーかれには『等しい』とか、『すぐれている』とか、(あるいは『劣っている』とか)いう思いは存在しない。
『等しい』『すぐれている』『劣(おと)っている』と言う思考は人間的思考の運動(優⇔劣)ある。故にその思考の運動を止めない限りには真理に到達することは出来ない。故に賢者は自らの人間的思考の運動を制し、遂には彼の岸へと到達したのである。