スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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04月

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

聖者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に常に気をつけ、誠実=中道であれ。両極端に反応することなく、傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)=人間的思考の運動(損⇔得)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)め=自らの人間的思考の運動(快⇔不快)の反応の仕方を見極めつくして、自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

この煩悩の矢に貫かれた者=人間的思考の運動(快⇔不快)が止められない者は、あらゆる方角をかけめぐる。人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

生きとし生けるものは終極=死に直面した際においては違逆=逆さづりにあうほどの苦しみに会うのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき煩悩の矢=人間的思考の運動(生⇔死)が潜(ひそ)んでいるのを見た。

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

世界はどこも堅実(けんじつ)=中道ではない。どの方角でもすべて動揺=人間的思考の運動をしている。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに人間的思考の運動によって死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

水の少ないところにいる魚のように、人々が「打たれる」恐怖に慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)を立ち上げては抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。この運動を止めない限り、この恐怖から逃れる事はできないのである。

 

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)を立ち上げ、武器を執(と)って打とうとしたことから打たれると言う恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。人間的思考の運動は運動であるから打つが生じると打たれると言う運動へと変化する。故にその運動を止めて運動から出る事が必要なのである。

スッタニパータ 迅速934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

かれは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、みずからに勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、人間的思考の運動(快⇔不快)を止めた中道による眼で、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく思考の運動を止め、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

スッタニパータ 迅速933の解説

933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない

 

修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけて真理を学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて運動を止める事を怠ってはならない

 

スッタニパータ 迅速932の解説

932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。

 

 

諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、中道を保ち、敵対的な返答をしないからである。