スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2023年

スッタニパータ 武器を執ること945の解説

945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

 

 

わたくしは、人間的思考の運動がもたらす牽引する者のことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、それらを得るためのはからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

スッタニパータ 武器を執ること944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

人間的思考の運動(新しい⇔古い)を制し、古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。あるがままを観察することに努め、滅びゆくものを悲しんではならない。思考の運動がもたらす牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

 

スッタニパータ 武器を執ること943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、両極端を掴むための虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また快を掴んだ時にも慢心を知りつくしてなくすようにせよ。何かを得られなかったとしても粗暴になることなく、あるがままを見、ふるまえ。

スッタニパータ 武器を執ること942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を究め安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。修行に対して、怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。たとえそれらが出来たとしても高慢な態度をとるな。

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

聖者は「誠実=あるがまま」であれ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。自らの人間的思考の運動(損⇔得)を制し、ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。自らの人間的思考の運動による癖をよく観察し、諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

この(煩悩の)矢に貫かれた者は、両極端を求めて、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、運動は止まり、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

生きとし生けるものは終極=死に直面した時においては違逆=逆さづりにあうような苦しみに会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき両極端を求める煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

世界はどこも堅実(けんじつ)=中道ではない。どの方角でもすべて人間的思考の運動によって動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみのエネルギーなどにとりつかれていないところを見つけなかった。

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

思考の運動がもたらす両極端を求めて、水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が人間的思考の運動(打つ⇔打たれる)によって相互に抗争しているのを見て、運動に巻き込まれた抜け出せない人々を見て、わたくしに恐怖が起った。