スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com

09月

スッタニパータ 武器を執ること953の解説

953 動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智(えいち)ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。かれはあくせくした営みから離れて、至るところに安穏を見る。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、動揺して煩悩に悩まされることなく、中道を歩む叡智(えいち)ある人にとっては、龍極端を摘まもうと言ういかなる作為も存在しない。かれは両極端を掴もうとするあくせくした営みから離れて、至るところに安穏を見る。

スッタニパータ 武器を執ること952の解説

952 苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩(なや)まされることなく、万物に対して平等である。ー動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、両極端に対して、苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩(なや)まされることなく、万物に対して平等である。ー運動を止めて動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。

スッタニパータ 武器を執ること951の解説

951 「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。

 

 

自らの人間的思考の運動(自⇔他)を制し「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは(このような)取ると言う〈わがものという観念〉が存しない=「空を悟る」から、「われになし」といって悲しむことがない。

スッタニパータ 武器を執ること950の解説

950 名称と形態について、〈わがものという想い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。

 

 

名称と形態について、自らの人間的思考の運動(自⇔他)を制し、〈わがものという想い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。

 

スッタニパータ 武器を執ること949の解説

949 過去にあったもの(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。

 

 

過去にあったもの=「人間的思考の運動(快⇔不快)によって分別したもの」(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に人間的思考の運動(快⇔不快)は、何ものも有らぬようにせよ。中間=現在においても汝が人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」=中道を究めた人としてふるまうことであろう。

 

 

 

 

スッタニパータ 武器を執ること948の解説

948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。

 

 

世間における人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、中道を極め、両極端に流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。

スッタニパータ 武器を執ること947の解説

947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

 

かれは智者であり、修行の達人である。かれは自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道による眼によって理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

スッタニパータ 武器を執ること946の解説

946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

 

 

修行者である聖者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、中道を歩み、あるがままの真実から離れることなく、陸地(安らぎ)=中道に立っている。かれは一切の両極端を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

スッタニパータ 武器を執ること945の解説

945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

 

 

わたくしは、人間的思考の運動がもたらす牽引する者のことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、それらを得るためのはからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

スッタニパータ 武器を執ること944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

人間的思考の運動(新しい⇔古い)を制し、古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。あるがままを観察することに努め、滅びゆくものを悲しんではならない。思考の運動がもたらす牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。