スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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01月

スッタニパータ サーリープッタ973の解説

973 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。

 

 

他人からことばで警告されたときには、人間的思考の運動(快⇔不快)を立ち上げることなく、心をおちつけて自らの心を観察せよ。ともに修行する人々に対する思考の運動である荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。それらは全て両極端の思考から来るからである。

スッタニパータ サーリープッタ972の解説

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

 

修行者は、眼を下に向けて、心がうろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、心を平静にして、精神の安定をたもち、両極端がもたらす思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

スッタニパータ サーリープッタ971の解説

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られても自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

スッタニパータ サーリープッタ970の解説

970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

 

 

人間的思考の運動の快、不快がもたらす『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思考の運動である思慮を抑制せよ。

スッタニパータ サーリープッタ969の解説

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、観察による智慧をまず第一に重んじて、思考を止める善を喜び、それらの危難にうち勝て。思考の運動がもたらす奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

スッタニパータ サーリープッタ968の解説

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、不快による怒りと快を得た高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)ち中道を保つべきである。

 

 

スッタニパータ サーリープッタ967の解説

967 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

 

 

両極端を求めるような思考を制し、盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも両極端に分けることなくあらゆる生きものに慈(いつく)しみを以て接せよ。人間的思考の運動(快⇔不快)による心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

スッタニパータ サーリープッタ966の解説

966 病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に努力をなすべきである。

 

 

病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも自らの人間的思考の運動(安心⇔不安)を制し堪(た)え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に思考の運動を止める努力をなすべきである。

スッタニパータ サーリープッタ965の解説

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

自らの人間的思考の運動(安心⇔不安)を制し、異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた「善=思考の運動を止める事」を追求して、観察を続け他の諸々の危難にうち勝て。

スッタニパータ サーリープッタ964の解説

955 サーリープッタさんが言った、ー
「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。ーこのようにことば美(うる)わしき師(ブッダ)、衆の主がトゥシタ天から来たりたもうたことを。

 

956 眼ある人(ブッダ)は、神々及び世人が見るように、一切の暗黒を除去して、独(ひと)りで(法)楽をうけられた。

 

957 こだわりなく、偽(いつわり)りなく、このように範たる人として来たりたもうた師・目ざめた人(ブッダ)であるあなたのもとに、これらの束縛ある多くの者どものために問おうとして、ここに参りました。

 

958 修行者は世を厭(いと)うて、人のいない座所や樹下や墓地を愛し、山間の洞窟の中におり、

 

959 または種々の座所のうちにいるのであるが、そこにはどんなに恐ろしいことがあるのだろう。ー修行者は音のしないところに座臥(ざが)していても、それらを恐れて震(ふる)えてはならないのだが。

 

960 未到(みとう)の地におもむく人にとっては、この世にどれだけの危難があることだろう。ー修行者は辺鄙(へんぴ)なところに座臥(ざが)していても、それらの危難にうち克(か)たなければならないのだが。

 

961 熱心につとめる修行者には、いかなることばを発するべきか?ここでかれのふるまう範囲はいかにあるべきか?かれのまもる戒律や誓いはどのようなものなのですか?

 

962 心を安定させ気を落ちつけてている賢者は、どのような学修を身に受けて、自分の汚れを吹き去るのですか?ー譬(たと)えば加治工(かじこう)が垢(あか)を吹き去るように。」

 

 

963 師(ブッダ)は答えた、「サーリープッタよ。世を厭(いと)い、人なきところに趺坐し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。

 

 

964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に触(ふ)れることである。

 

 

しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に触(ふ)れることである。常に動揺することなく中道を歩み観察せよ。