スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2021年

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

聖者は中道に基づき誠実であれ。人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらすような両極端を掴む思考である傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。そのように両極端を制するのである。

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、諸々の欲望を究(きわ)めつくして、中道によるところの自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

この人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす煩悩の矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)に気づいて、この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。すなわち中道を歩むのである。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

生きとし生けるものは死ぬ間際すなわち終極においては逆さ吊りに会うような苦しみに会うのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。何故、このように苦しむのか?それは、自らが掴んだものを離さないからである。離さないが故に、また生まれてくる。ああ、人のはかなき夢よ。その夢は無常なのだ。それを知らない限りその苦しみから逃れる事はできない。何故なら自らその苦しみを握って離そうとしないが故にである。

 

スッタニパータ 武器を執ること937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

 

世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて人間的思考の運動(快⇔不快)によって、動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。そのように人々の残こした人間的思考の運動(快⇔不快)による念が渦巻いているのである。

スッタニパータ 武器を執ること936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

水の少ないところにいる魚のように、いつ死にかわからない恐怖に人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が運動によって、相互に抗争し、殺し殺される運動に陥ったありさまを見て、わたくしに恐怖が起った。

スッタニパータ 武器を執ること935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。人間的思考の運動(平和⇔戦争)のままに、両極端の平和を掴もうと、武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)いその運動を離れたその衝撃を宣(の)べよう。

スッタニパータ 迅速934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

 

かれは、みずからの運動を制して、みずからに勝ち、迷わせる他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、中道から来るところの観察によって、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、観察によるところの智慧に学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

スッタニパータ 迅速933の解説

933 修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。諸々の煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない

 

 

修行者はこの道理を知って、よく弁(わきま)えて、つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、気をつけて学べ。中道を歩み、諸々の両極端による煩悩(ぼんのう)の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて中道を歩むことを怠ってはならない。

スッタニパータ 迅速932の解説

932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。

 

 

諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、それらに対しての自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は、無抵抗の境地を究め、敵対的な返答をしないからである。