2021

視点集

スッタニパータ 782 (第6の視点)

スッタニパータ782句から読み解く、第6の視点。人から尋ねられていないのに戒律や道徳の遵守を言いふらす行為は、称賛という両極端の思考を求めて自己を誇示することである。真理に達した人は、これを人間的思考の運動(快・不快)を止められない「下劣な人」であると説くという修行の本質を記録。
視点集

スッタニパータ 781 (第7の視点)

スッタニパータ781句から読み解く、第7の視点。人間的思考の運動(快・不快)を止められず、欲や好みに捉われている人は自身の偏見を超えることができない。かれは思考の運動が動いたままの状態を完全だと誤認している。思考の運動によって全体を見ていないために、真理を見ることはできないという修行の本質を記録。
視点集

スッタニパータ 780 (第6の視点)

スッタニパータ780句から読み解く、第6の視点。悪意や伝聞による他者への誹謗があっても、聖者は人間的思考の運動(快・不快)を制して両極端に赴かない。他者からの影響を受けず、あるがままに観ることで心が動揺することもなく、何事に対しても心が荒むことがないという修行の本質を記録。
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スッタニパータ 779 (第7の視点)

スッタニパータ779句から読み解く、第7の視点。人間的思考の運動(快・不快)を制し、想いを知り尽くして激流を渡る。聖者は両極端を離れて中道を歩み、執着と煩悩の矢を制してこの世も彼の世も望まず、彼の岸へと到達する修行の本質を記録。
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スッタニパータ 778 (第6の視点)

スッタニパータ778句から読み解く、第6の視点。人間的思考による両極端の欲望を制し、観察を通じて感官の接触を知りつくすことで、あるがままに見て汚されることなく生きる。修行の本質を記録。