950 名称と形態について、〈わがものという想い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。
この無常の世に現れる名称と形態についての人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、わがものという想いの全く存在しない人、また何ものかがないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。中道を歩み真理を見るものは、運動がもたらす時間を超越し、時間による空間から解脱するからである。
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950 名称と形態について、〈わがものという想い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。
この無常の世に現れる名称と形態についての人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、わがものという想いの全く存在しない人、また何ものかがないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。中道を歩み真理を見るものは、運動がもたらす時間を超越し、時間による空間から解脱するからである。
949 過去にあったもの(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。
過去にあった両極端に分けたものである煩悩を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に人間的思考の運動(快⇔不快)による掴むものは何ものも有らぬようにせよ。現在においても汝が自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。中道を歩むことによって真理を見るからである。
948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。
世間における人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい両極端の執着を超えた人は、中道を歩み、両極端に流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。故にあるがままに真理を見る事ができるのである。
947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。
かれは智者であり、修行の達人である。かれは中道を確立し、理法を知りおわって、両極端に依りかかることがない。かれは世間において中道を歩み、あるがままに、正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。
946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。
修行者である聖者は、人間的思考の運動(快⇔不快)を止め、中道である真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切の両極端を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。
945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。
わたくしは、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす牽引するもののことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。それらを掴もうとするならば、中道による真理を見る事はできないのである。
944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。
自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、こだわりを捨てる。古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。何かを掴もうとする牽引(けんいん)するもの〔妄執)にとらわれてはならない。あるがままに観察し、真理を見よ。
943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。
人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、両極端を得ようと邪な、虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。人間的思考の運動(美しい⇔醜い)に気づき、美しいすがたに愛着を起こすな。またそれらを手にしても、慢心を知りつくしてなくすようにせよ。それらを得られなくとも粗暴になることなく、ふるまえ。
942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。
中道がもたらす安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することを怠ることなく行い、怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。常に心を中道に保つことに心がけ、高慢な態度をとるな。
941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。
聖者は中道に基づき誠実であれ。人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらすような両極端を掴む思考である傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。そのように両極端を制するのである。