いつも愛読させていただいております。私もスッタニパータやテーラーワーダを参考に自己鍛錬に取り組んでいます。スッタニパータは、本よりもこのホームページの解説がわかりやすく、本で読んだだけでは気づかなかったこともわかり重宝しておりますが、スッタニパータもテーラーワーダも現代人が読むと意味が分かりにくいと思いますので、現代人が理解できるようにお釈迦様の修行方法を教えていただきたく存じます。特に何故その修行方法が必要なのかを知りたく思います。
まず、お釈迦様の修行方法の基本は、人間的思考の運動を止める事です。日本では言葉だけ伝わっていますが。止観です。テーラーワーダでは、サマタとヴィッパッサナーですね。止めると言うのは、人間的思考の運動を止める事です。観は、現象の観察。あるいは、反応の仕方の観察も意味しています。つまり、人間的思考の運動(快⇔不快)が止められないと集中できませんし、あるがままに現象の観察も出来ませんので、まずは、人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事から教えていくわけです。この話を修行者が聞くと「ああ、なるほど」とわかるのですが、一般の人が見るといきなり難しい話でわからないとなってしまいます。
ブログでも書いた事がありますが例えば人間的思考の運動(快⇔不快)がアナログだとしたら、それを止める事でデジタルに変換できると思って下さい。ここで重要なのは、運動を止めないとデジタルに変換できないと言う事です。例えば、ラジオやテレビで周波数が合えば放送局と繋がりますが、合っていないと聞いたり見たりすることはできません。つまり人間的思考の運動が動いていると周波数が合っていない状態。止めると合った状態と言う事になります。スマホで例えるならば、人間的思考の運動(快⇔不快)が止められないとクラウドと繋がっていないスマホです。人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事で初めてクラウドと繋がるスマホになると言う事です。例えるならば、クラウドにつながると言う事ですね。人間の脳はスマホのような末端と同じです。容量は小さい。でもクラウドに繋がればどうでしょうか?全てはそこにあります。つまり人間的思考の運動を止めると言う事は、人間が仏へ転換する第一歩と言う事なのです。限られた世界から無限の世界へ、もう扉はそこにあるのです。
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