2020

ご法話

スッタニパータ パスーラ833のご法話

833 またかれらは対立を離脱して行い、一つの見解を[他の]諸々の偏見と抗争させない人々なのであるが、かれらに対して、あなたは何を得ようとするのか?パスーラよ。かれらの間で「最上のもの」として固執されたものは、ここには存在しないのである。ま...
ご法話

スッタニパータ パスーラ832のご法話

832 (特殊な)偏見を固執して論争し、「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、汝はかれらに言え、ー「論争が起っても、汝と対論する者はここにいない」と。かれは特殊な偏見=人間的思考の運動(快⇔不快)の見方によるかれが見出した真理、そ...
ご法話

スッタニパータ パスーラ831のご法話

831 たとえば王に養われてきた勇士が、相手の勇士を求めて、喚声(かんせい)を挙げて進んでいくようなものである。勇士よ。かの(汝に、ふさわしい、真理に達した人の)いるところに到(いた)れ。相手として戦うべきものは、あらかじめ存在しないのであ...
ご法話

スッタニパータ パスーラ830のご法話

830 心の高ぶりというものは、かれの害(そこな)われる場所である。しかるにかれは慢心・増上慢心(ぞうじょうまんしん)の言をなす。このことわりを見て、論争してはならない。諸々の達成せる人々は、「それによって清浄が達成される」とは説かないから...
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スッタニパータ パスーラ829のご法話

829 あるいはまた集会の中で議論を述べて、それについて称賛されると、心の中に期待したような利益を得て、かれはそのために喜んで、心が高ぶる。人間的思考の運動(快⇔不快)の運動により称賛されると喜ぶ。この喜ぶ心は果たして利益であろうか?修行者...