スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2020年

スッタニパータ 武器を執ること951の解説

951 「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。

 

 

人間的思考の運動である「自分」⇔「他人」すなわち「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれはこのような分別しようとするわがものという観念が存しないから、何かを掴もうと「われになし」といって悲しむことがない。

 

スッタニパータ 武器を執ること950の解説

950 名称と形態につて、〈わがものという想い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、20ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。

 

 

目の前の現象である名称と形態につて、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)によって掴む、わがものという想いの全く存在しない人、また対象としてみた掴むものすなわち何ものかがないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。つまり、この変化ある世界に生まれてくることはない人なのである。

スッタニパータ 武器を執ること949の解説

949 過去にあったもの(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。

 

 

過去にあった出来事あるいは、関心事、分別して得たものそれらの煩悩を枯渇(こかつ)せしめよ。今後の出来事に対しても、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間、今においても思考の運動を制し、汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。すなわち、過去にとらわれることなく、未来を追い求めることもなく、現在においても分別をしなければ、運動の荒波を回避し、安らいだ人となるのである。

 

 

スッタニパータ 武器を執ること948の解説

948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、何かを掴むこともなく、世間における諸々の欲望を超え、また運動がもたらす克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、全てを手放しそれらから解放され、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。

スッタニパータ 武器を執ること947の解説

947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

 

 

 

かれは智者であり、修行の達人である。かれは、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、四智思考へと転換し、あるがままに理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは自らの見地で世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

スッタニパータ 武器を執ること946の解説

946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

 

 

修行者である聖者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あるがままに真実から離れることなく、激流を離れ、陸地である安らぎに立っている。かれは人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす一切の煩悩を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

 

 

スッタニパータ 武器を執ること945の解説

945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

 

 

わたくしは、人間的思考の運動(快⇔不快)がもたらす煩悩へと牽引する者のことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、それらを得るために、はからい、それらを捕捉(ほそく)すると呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

スッタニパータ 武器を執ること944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

 

すべての対象に対して、あるがままに観察する。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制して、古いものを喜んではならない。それらを手放すのである。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。それらを掴まないようにせよ。滅びゆくものを悲しんではならない。無常を感じて観察するのだ。人間的思考の運動(快⇔不快)によって立ち上がる牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

スッタニパータ 武器を執ること943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

 

自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、執着の対象を得るために立ち上がる虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。目から感じるところの人間的思考の運動(美⇔醜)にも気をつけ、美しいすがたに愛着を起こすな。またどのような時に心が運動するのかにもよく怠ることなく観察し、慢心を知りつくしてなくすようにせよ。執着の対象が得られなくとも、粗暴になることなく、ふるまえ。

スッタニパータ 武器を執ること942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

安らぎを心がける人は、常に自らの人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、自らの心と、現象の観察に集中し、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。気をつける事に怠ることなく、怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。それらが出来ていたとしても、高慢な態度をとるな。