774 かれらは欲望を貪り、熱中し、溺(おぼ)れて、吝嗇(りんしょく)(物惜しみ、ケチ)で不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲観する、ー「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。
欲望を貪るものは、その欲望の対象しか見ていない。かれの視線はそのことに熱中し、溺れている。それは、まるで陽炎を掴もうとしているようなものである。その対象を掴んだとしても、死が訪れれば必ず手放さないといけないのであるから、苦しむのである。そうしては、またその対象を求めて生まれては死ぬ。それを知って聖者は、その執着の対象を手放し、見方を広げ遂には彼の岸へと到達したのである。
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