スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

suttanipata

info@suttanipata.com

2019年

スッタニパータ 武器を執ること947の解説

947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

 

 

 

かれは智者であり、修行の達人である。かれは自らが目の当たりにする理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

スッタニパータ 武器を執ること946の解説

946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

 

 

 

修行者完成者である聖者は、両極端を制し、生起と消滅を繰り返す無常の世の真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切の執着を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

スッタニパータ 武器を執ること945の解説

945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

 

 

 

わたくしは、苦しみへ牽引する者のことを遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。このようにひとたび牽引されたならば、胸の奥が鉄の塊のように熱く燃え盛り、その苦から逃れることは困難である。それを知って修行者は常に引き込まれないようによく気をつけ日々遍歴せよ。

スッタニパータ 武器を執ること944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

 

無常を知り心を寂静に整え人間的思考の運動(新⇔旧)にとらわれることなく、古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。時間を牽引(けんいん)する妄執にとらわれてはならない。

スッタニパータ 武器を執ること943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

 

貪瞋痴の連載に注意し、痴による虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。人間的思考の運動(美⇔醜)を制し、無常による変化を視て、美しいすがたに愛着を起こすな。また、貪を得ることから生じる慢心を知りつくしてなくすようにせよ。貪→瞋の連鎖により粗暴になることなく、ふるまえ。

スッタニパータ 武器を執ること942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

安らぎを心がける人は、常に目覚め、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。うまくいっても、高慢な態度をとるな。このように人間的思考の運動(高慢⇔怠惰)という運動にも気をつけ、自らの心で、自らの反応の仕方を見張るのである。

スッタニパータ 武器を執ること941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

 

聖者は誠実であれ。痴である傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、瞋を立ち上げて怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。すなわち貪瞋痴による反応の仕方を制して、八正道を歩むのである。

スッタニパータ 武器を執ること940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー自らの反応の仕方を制し、世間における諸々の執着による束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望をすなわち人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方を究(きわ)めつくして、両極端を制して、自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ 武器を執ること939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

 

この煩悩の矢に貫かれた者は、欲したものを得ようと、あらゆる方角をかけめぐる。両極端を制して、この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、得られないからと言って沈むこともない。

スッタニパータ 武器を執ること938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

 

生きとし生けるものは死に直面した時においては違逆に会うような苦しみに襲われるのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき生への執着による煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。かれはまたその矢によってまた、生まれては、死ぬ。