スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2019年

スッタニパータ サーリープッタ966の解説

966 病にかかり、餓(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に努力をなすべきである。

 

 

自らの身体や環境が変化し、病にかかり、餓(う)えに襲われても、また時間とともに変化をする寒冷や酷暑(こくしょ)をも堪(た)え忍ぶべきである。かの家なき人は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固(けんご)に自らと現象の観察をする努力をなすべきである。

スッタニパータ サーリープッタ965の解説

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

 

異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、道を踏み外すことなく歩めば、他の諸々の危難にうち勝てるのである。

スッタニパータ サーリープッタ964の解説

955 サーリープッタさんが言った、ー
「わたくしは未だ見たこともなく、また誰からも聞いたこともない。ーこのようにことば美(うる)わしき師(ブッダ)、衆の主がトゥシタ天から来たりたもうたことを。

956 眼ある人(ブッダ)は、神々及び世人が見るように、一切の暗黒を除去して、独(ひと)りで(法)楽をうけられた。

957 こだわりなく、偽(いつわり)りなく、このように範たる人として来たりたもうた師・目ざめた人(ブッダ)であるあなたのもとに、これらの束縛ある多くの者どものために問おうとして、ここに参りました。

958 修行者は世を厭(いと)うて、人のいない座所や樹下や墓地を愛し、山間の洞窟の中におり、

959 または種々の座所のうちにいるのであるが、そこにはどんなに恐ろしいことがあるのだろう。ー修行者は音のしないところに座臥(ざが)していても、それらを恐れて震(ふる)えてはならないのだが。

960 未到(みとう)の地におもむく人にとっては、この世にどれだけの危難があることだろう。ー修行者は辺鄙(へんぴ)なところに座臥(ざが)していても、それらの危難にうち克(か)たなければならないのだが。

961 熱心につとめる修行者には、いかなることばを発するべきか?ここでかれのふるまう範囲はいかにあるべきか?かれのまもる戒律や誓いはどのようなものなのですか?

962 心を安定させ気を落ちつけてている賢者は、どのような学修を身に受けて、自分の汚れを吹き去るのですか?ー譬(たと)えば加治工(かじこう)が垢(あか)を吹き去るように。」

 

 

963 師(ブッダ)は答えた、「サーリープッタよ。世を厭(いと)い、人なきところに趺坐し、さとりを欲する人が楽しむ境地および法にしたがって実践する次第を、わたくしの知り究めたところによって、そなたに説き示そう。

 

964 しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖におじけてはならない。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に触(ふ)れることである。

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、自らの反応の仕方に、しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、五種の恐怖の時においても反応を制して寂静に帰して現象と心を観察せよ。すなわち襲いかかる虻(あぶ)や蚊(か)と爬虫類(はちゅうるい)と四足獣と人間(盗賊など)に接した時もである。

スッタニパータ 武器を執ること954の解説

954 聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、勝れた者のうちにいるとも言わない。かれは安らいに帰し、慳(ものおし)みを離れ、取ることもなく、捨てることもない。ーと師は説かれた。

 

 

 

かれは両極端に分けて比較することがないので、自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、勝れた者のうちにいるとも言わない。かれは、寂静にして安らいに帰し、なにかを得たとしても慳(ものおし)みを離れ、何かを欲して取ることもなく、捨てることもない。ありのままに観るものであるーと師は説かれた。

スッタニパータ 武器を執ること953の解説

953 動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智(えいち)ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。かれはあくせくした営みから離れて、至るところに安穏を見る。

 

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制し、動揺して煩悩に悩まされることなく、自ら真理を視て叡智(えいち)ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。かれはあくせくした両極端の営みから離れて、至るところに安穏を見る。

スッタニパータ 武器を執ること952の解説

952 苛酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩(なや)まされることなく、万物に対して平等である。ー動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。

 

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制して、苛酷なることなく慈しみをもって接し、何かを欲して貪欲なることなく、両極端に動揺して煩悩に悩(なや)まされることなく、万物に対して分けることなく平等である。ーこのように動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。

スッタニパータ 武器を執ること951の解説

951 「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。

 

 

 

無常を知り、無我を知り尽くし「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは、このような、「わがもの」という観念が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。人は、人間的思考の運動により、わがものとみなしたものに執着をするが、聖者は、人間的思考の運動を止め、分けず、とらわれず、寂静に帰しているのである。

スッタニパータ 武器を執ること950の解説

950 名称と形態につて、〈わがものという想い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、20ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。

 

 

 

名称と形態につて、無常を知り。わがものという想いの全く存在しない人、また無常によって、何ものかがないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても真理を知り老いることがない。

スッタニパータ 武器を執ること949の解説

949 過去にあったもの(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。

 

 

 

過去に分別したものである煩悩を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも分別せぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも分別せず執しないならば、汝は中道を歩み「安らかな人」としてふるまうことであろう。

スッタニパータ 武器を執ること948の解説

948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。

 

 

 

世間における両極端を欲する諸々の欲望を超え、また人間的思考の運動を制し、克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、両極端を制し、無常を知り、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。