スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2019年

スッタニパータ 学生アジタの質問1033の解説

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆(おお)われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間を汚すものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」

 

 

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明(むみょう)によって覆われている。世間は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

 

 

師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間(魂)は、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)により迷いに陥った無明(むみょう)によって覆われている。世間(魂)は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)に覆われて輝かない。欲心が世間(魂)の汚れである。両極端を得られない苦悩が怒りとなり世間(魂)の大きな恐怖となる。とわたしは説く。」故に修行者よ、自らの人間的思考の運動を制してこの貪瞋痴の流れを断つことである。

 

スッタニパータ サーリープッタ975の解説

975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

 

 

 

 

修行僧は、自らの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による反応の仕方によく気をつけて、自らの心を観察し、心を育て、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。常に寂静にして、かれは適当な時に現象の観察による気づきにより理法を正しく考察し、心に集中して、流域を広げ、全てを見通し、暗黒を滅ぼせ。」

スッタニパータ サーリープッタ974の解説

974 またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲を抑制せよ。

 

 

 

またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。すなわち目、耳、鼻、舌、蝕から入る情報である。よく気をつけて、それらから入る人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する両極端の貪欲(分別)を抑制せよ。

 

スッタニパータ サーリープッタ973の解説

973 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。

 

 

 

他人からことばで警告されたときには、人間的思考の運動(快⇔不快)によく気をつけ、心をおちつけて自らの反応の仕方を観察せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ分ける心を断て。よく周りを観察して、ことばを発せよ。その時にふさわしくない人間的思考の運動による反応によることばを発してはならない。痴を立ち上げて人々をそしることを思ってはならぬ。

スッタニパータ サーリープッタ972の解説

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

 

眼を下に向けて生き物を踏むことなく、むやみやたらにうろつき廻ることなく、自らの反応の仕方と目の前に起きる現象を観察する瞑想に専念して、反応を観察するために大いにめざめておれ。人間的思考の運動(快⇔不快)を制して心を平静にして、精神の安定をたもち、思考の運動がもたらす思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

スッタニパータ サーリープッタ971の解説

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

 

適当な時に食物と衣服とを得て、ここで人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、少量に満足するために、衣食の量を知れ。かれは衣食に関しては快を求めることなく、恣(ほしい)ままならず、自らを制して、慎(つつ)しんで村を歩み、人間的思考の運動(快⇔不快)の運動を制し、罵(ののし)られても、人間的思考の運動(快⇔不快)を制し、あらあらしいことばを発してははならない。人間的思考の運動から生じる貪りに伴った痴により人々をそしることを想ってはならぬ。このように貪瞋痴を制して世の中を遍歴せよ。

スッタニパータ サーリープッタ970の解説

970 すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら(四つの)憂いに導く思慮を抑制せよ。

 

 

 

すなわち『わたしは何を食べようか』『わたしはどこで食べようか』『(昨夜は)わたしは眠りづらかった』『今夜はわたしはどこで寝ようか』ー家を捨て道を学ぶ人は、これら四つの憂いに導く思慮である人間的思考の運動(快⇔不快)による分別を抑制せよ。そうして、自らに起こることをあるがままに観るのである。

スッタニパータ サーリープッタ969の解説

969 智慧をまず第一に重んじて、善を喜び、それらの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。次の四つの憂うべきことに堪えよ。

 

 

 

観察するところから得るところの智慧をまず第一に重んじて、八正道を知り、善を喜び、それら人間的思考の運動による反応がもたらすの危難にうち勝て。奥まった土地に臥す不快に堪(た)えよ。寂静にして現象を観察し次の四つの憂うべきことに堪えよ。

スッタニパータ サーリープッタ968の解説

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)が発生すると、その快が手に入らないと怒り、あるいは不快を感じても怒る。あるいは、快が手に入ると高慢になり、不快をうまく排除できても高慢になる。それら怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、自らの反応の仕方を制して、両者にしっかりと、うち克(か)つべきである。

 

スッタニパータ サーリープッタ967の解説

967 盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。

 

 

 

人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が立ち上がることにより、貪りが生じるとそこから貪りを得るために生じるところの痴によって、盗みを行ってはならぬ。虚言を語ってはならぬ。それらの人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を制して、平等性智の見地から、弱いものでも強いものでも(あらゆる生きものに)慈(いつく)しみを以て接せよ。思考の運動によって心の乱れを感ずるときにには、「悪魔の仲間」であると想って、これを除き去れ。