スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  学生プンナカの質問1046の解説

1045 プンナカさんがいった、「先生!およそこの世で仙人や常の人々や王族やバラモンが盛んに神々に犠牲を捧げましたが、祭祀(さいし)の途において怠らなかったかれらは、生と老衰をのり超えたのでしょうか?わが親愛なる友よ。あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1046 師は答えた、「プンナカよ。かれらは希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。」

 

 

 

師は答えた、プンナカよ。かれらは、人間的思考の運動による欲望を、希望し、称讃し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁(よ)って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠(くぎ)に専念している者どもは、この世の生存を貪(むさぼ)って止(や)まない。かれらは生や老衰をのり超えていない、とわたしは説く。生や老衰は、この無常の世に常に存在しており、無常であるので変化する世界である。生あるものは必ず死を迎え、若いものも時間とともに老いる。そのような運動(変化)をする世界である。この人間的思考の運動を止め彼の岸へ到達したものかれには生も死も老いも存在しない。

スッタニパータ  学生プンナカの質問1044の解説

1043 プンナカさんがたずねた、「動揺することなく根本を達観せられたあなたに、おたずねしようと思って、参りました。仙人や常の人々や王族やバラモンは、何の故にこの世で盛んに神々に犠牲を捧(ささ)げたのですか?先生!あなたにおたずねします。それをわたしに説いてください。」

 

 

1044 師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態を希望して、老衰にこだわって、犠牲を捧げたのである。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「プンナカよ。およそ仙人や常の人々や王族やバラモンがこの世で盛んに神々に犠牲を捧げたのは、われらの現在のこのような生存状態の常住を希望して、人間的思考の運動(生⇔死)による老衰にこだわって、その他の犠牲を捧げたのである。」この無常の世にこだわりを持つこと、それは人間的思考の運動による両極端の思考である。すなわち両極端の快(良い)と思い込んでいる運動のさなかにある状態を追い求める。それは運動をするので必ず変化していく。変化するが故に、繰り返し犠牲を捧げるのである。

スッタニパータ  学生ティッサ・メッテイヤの質問1042の解説

1042 かれは両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない。かれを、わたしは〈偉大な人〉と呼ぶ。かれはこの世で縫う女(妄執)を超えている。」

 

 

かれは人間的思考の運動による両極端を知りつくして、よく考えて、両極端にも、中道を獲得すると言う離欲にも汚されない。かれを、わたしは偉大な人と呼ぶ。かれはこの世で会う諸々の執着の対象を超えている。

 

スッタニパータ  学生ティッサ・メッテイヤの質問1041の解説

1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を〈偉大な人〉と呼ばれますか?この世で縫(ぬ)う女(妄執)を超(こ)えた人は誰ですか?」

 

1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の人間的思考の運動による欲望に関しては中道をまもり、両極端の妄執を離れて、つねに自らの人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方に気をつけ、反応の仕方を究め明らめて、中道に帰し、安らいに帰した修行者、ーかれには、両極端による動揺は存在しない。

スッタニパータ  学生アジタの質問1039の解説

1038 「この世には真理を究(きわ)め明(あき)らめた人々もあり、学びつつある人々もあり、凡夫(ぼんぷ)もおります。おたずねしますが、賢者は、どうかかれらのふるまいを語ってください。わが友よ。」

 

 

1039 「修行者は諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。こころが混濁(こんだく)していてはならない。一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

 

 

「修行者は、自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を制することを糧とし、この運動がもたらすような、諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。人間的思考の運動によって、こころが混濁(こんだく)していてはならない。一切の事物の真相にすなわち人間的思考の運動と無常による変化である空に熟達し、自らの人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけて遍歴せよ。」

スッタニパータ  学生アジタの質問1037の解説

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

 

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

 

 

 

「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。両極端に分別する人間的思考の運動による識別作用が止滅(しめつ)する。すなわち運動を止めることによって、名称と形態とによる分別する意識が残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが現れる作用が滅び、目の前に現れなくなる。すなわち名称と形態からの解脱である。」

スッタニパータ  学生アジタの質問1035の解説

1034 アジタさんがいった、「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎまもるものは何ですか?その流れは何によって塞(ふさ)がれるのでしょうか?それを説いてください。」

 

 

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

 

 

師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、人間的思考の運動による反応の仕方に気をつけることである。自らの反応の仕方によく気をつけることが煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは、人間的思考の運動を止め、中道を確立したのち仏性が目覚め智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

スッタニパータ  学生アジタの質問1033の解説

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆(おお)われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間を汚すものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」

 

 

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明(むみょう)によって覆われている。世間は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

 

師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無常を知り得ない無明(むみょう)によって覆われている。世間は人間的思考の運動(快⇔不快)によって貪(むさぼ)りと人間的思考の運動を止めようとしない怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。人間的思考の運動による快を貪る欲心が世間の汚れである。無常による人間的思考の運動による反復に基づいた苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

スッタニパータ  サーリープッタ 975の解説

975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

 

 

修行僧は、自らの人間的思考の運動による反応仕方によく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する人間的思考の運動による欲望を抑制せよ。かれは適当な時に自らの人間的思考の運動による反応の仕方を正しく考察し、心を統一して、人間的思考の運動による反応を滅ぼせ。そうして次の段階で仏性を目覚めさせる段階へと入る。これが中道から仏道への道である。

 

 

欲望と、洞窟と、悪意と清浄と、最上と、老いと、メッテイヤとバスーラと、マーガンディヤと、死ぬよりも前にと、争闘と、二つの〈並ぶ応答〉と、迅速と、武器を執ることと、サーリープッタの質問とで、十六になる。これらの経はすべて〈八つの詩句の章〉である。

スッタニパータ  サーリープッタ 965の解説

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れて人間的思考の運動による反応をしてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた中道を追求して、他の諸々の人間的思考の運動による危難にうち勝て。聖者はいかなる時も中道を保つことである。