スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  学生ヘーマカの質問1086の解説

1084 ヘーマカさんがたずねた、「かつてゴーダマ(ブッダ)の教えよりも以前に昔の人々が『以前にはこうだった』『未来にはこうなるであろう』といってわたくしに説き明かしたことは、すべて伝え聞くにすぎません。それはすべて思索の紛糾(ふんきゅう)を増すのみ。わたくしはかれらの説を喜びませんでした。

 

 

1085 聖者さま。あなたは、妄執を滅しつくす法をわたくしにお説きください。それを知って、よく気をつけて行い、世間の執著を乗り超えましょう。」

 

 

1086 (ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。

 

 

ブッダが答えた、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する人間的思考の運動による反応の仕方を見極め、それを制し、欲望や貪(むさぼ)りを除き去ることが、不滅へのニルヴァーナの境地である。すなわち目で見るものへの反応の仕方、耳で聞こえるものへの反応の仕方、心で感じる事への反応の仕方を人間的思考の運動により両極端に識別していまい快美だと感じたものへ対しての欲望や貪りを除き去る事。それは、両極端の反応の仕方を制し中道を極めることが不滅のニルヴァーナへの道と言うことである。

 

スッタニパータ  学生ナンダの質問1082の解説

1081 ナンダさんがいった、「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。聖者さま。もしもあなたが『かれらは未(いま)だ煩悩の激流を乗り超えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り超えた人は誰なのですか?親愛なる先生!あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」

 

 

1082 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究(きわ)め明(あか)かして、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

 

 

 

1083 「偉大な仙人のことばを聞いて、わたくしは歓喜します。ゴーダマ(ブッダ)さま。再生の要素のない境地がみごとに説き明かされました。この世において(哲学的)見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨てて、また種々のしかたをすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々、ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたくしもまた説くのであります。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いによる人間的思考の運動に基づいた反応の仕方をすっかり捨て、また種々の反応のしかたをもすっかり捨てて、自らの反応の仕方をよく究(きわ)め明(あか)かして、人間的思考の運動を制し、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

スッタニパータ  学生ナンダの質問1080の解説

1079 ナンダさんがいった。「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、(哲学的)見解によって、また伝承の学問によっても、清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。そのほか種々のしかたで清浄になれるとも言います。先生!かれらはそれらにもとづいてみずから制して修行しているのですが、はたして生と老衰とを乗り超(こ)えたのでしょうか?わが親愛なる先生!あなたにおたずね致します。それをわたくしに説いてください。」

 

1080 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。これらの〈道の人〉・バラモンたちはすべて、〈哲学的〉見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う」

 

師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。これらの〈道の人〉・バラモンたちはすべて、哲学的見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。そのほか種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、哲学的見解によって人間的思考の運動(正しい⇔正しくない)が起こり、また伝承の学問によっても人間的思考の運動(理解している⇔理解していない)が起こる。戒律や誓いによっても人間的思考の運動(守る⇔守らない)が起こる。人間的思考の運動による範疇にある限り、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う」

 

スッタニパータ  学生ナンダの質問1078の解説

1077 ナンダさんがたずねた、「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか?世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか?あるいは〔簡素な〕生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」

 

 

1078 (ブッダが答えた)、「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

 

 

 

ブッダが答えた、「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、哲学的見解によって生じた人間的思考の運動によっても、伝承の学問によって生じた人間的思考の運動によっても、知識によって生じた人間的思考の運動によっても聖者だとは言わない。人間的思考の運動を制して煩悩の魔軍を撃破し、寂静にして、苦悩なく、望むことなく行う人々、ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

スッタニパータ  学生ウパシーヴァの質問1076の解説

1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか?或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

 

 

1076 師は答えた、「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

 

 

 

師は答えた、「ウパシーヴァよ。生れる素因が滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆる人間的思考の運動による両極端の反応がすっかり絶やされたとき、かれを生れさせる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

スッタニパータ  学生ウパシーヴァの質問1074の解説

1073 「あまねく見る方(かた)よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼(しょうりょう)となるのでしょうか?またそのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」

 

 

1074 師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである。」

 

 

師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって火としては数えられないように、そのように聖者は、人間的思考の運動による反応の仕方を完全に制し、名称と身体から解脱して滅びてしまって、この無常で変化する世では、存在する者としては数えられないのである。」人は、人間的思考の運動によってものごとを分け、それを取る。無常の世では必ず、いつかはは失われるのであるから、また想いによって生まれるのである。その想いを完全に制止した者、それが解脱した聖者と呼ばれる。

スッタニパータ  学生ウパシーヴァの質問1072の解説

1071 ウパシーヴァさんがいった、「あらゆる欲望に対する貪(むさぼり)りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するでありましょうか?」

 

 

1072 師は答えた、「ウパシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

 

 

師は答えた、「ウパシーヴァよ。あらゆる人間的思考の運動がもたらす欲望に対する貪りを離れ、無常を知り無所有にもとづいて、その他の人間的思考による喜びを捨て、最上の人間的思考の運動による両極端の想いから解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、中道に安住するであろう。」

スッタニパータ  学生ウパシーヴァの質問1070の解説

1069 ウパシーヴァさんがたずねた。「シャカ族の方よ。わたくしは。独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の激流を渡ることはできません。わたくしがたよってこの激流をわたり得る〈よりどころ〉をお説きください。あまねく見る方よ。」

 

 

1070 師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うことによって、煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

 

 

師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけて、無常を知って無所有をめざしつつ、『無常の世で常住は存在しない』と思うことによって無所有を知り、無知による煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。諸々の人間的思考の運動がもたらす欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

スッタニパータ  学生ドータカの質問1068の解説

1067 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」

 

1068 師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、ーそれは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

 

 

師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、その対象に対しての自らの反応の仕方、すなわち人間的思考の運動による反応の仕方である「好き⇔嫌い」に分けないように注意しーそれは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への、また手に入れたいと言う強い想いをいだいてはならない」と。人は、その想いによってこの無常である苦の世界に生れてくるのだから。

スッタニパータ  学生ドータカの質問1066の解説

1065 バラモンさま。慈悲(じひ)を垂(た)れて、(この世の苦悩から)遠ざかり離れる理法を教えてください。わたくしはそれを認識したいのです。わたくしは、虚空(こくう)のように、乱され濁ることなしに、この世において静まり、依りすがることなく行いましょう。」

 

1066 師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

 

 

師は言われた、「ドータカよ。伝え聞いたことによるのではない、まのあたり体得される修行法によるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知って人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけて自らを制し、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」