スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  学生バドラーヴダの質問1103の解説

1101 バドラーヴダさんがたずねた、「執著の住所をすて、妄執を断ち、悩み動揺することなく、歓喜をすて、激流を乗り超え、すでに解脱(げだつ)し、はからいをすてた賢明な(あなた)に切にお願いします。

 

 

1102 健き人よ。あなたのおことばを聞こうと希望して、多勢の人々が諸地方から集まって来ましたが、竜(ブッダ)のおことばを聞いて、人々はここから立ち去るでしょう。かれらのために善く説明してやってください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるのですから。」

 

 

1103 師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに執着しても、それによって悪魔が人につきまとうに至る。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「バドラーヴダよ。上にも下にも横にでも中間にでも、この無常の世に存在するものへの人間的思考の運動を制し、執著する妄執をすっかり除き去れ。世の中の何ものに人間的思考の運動による反応の仕方をして、執着しても、それによって苦が人につきまとうに至る。これが苦の素因だと知れ。

スッタニパータ  学生ジャトゥカンニンの質問1100の解説

1100 バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

 

 

修行者よ。この無常で変化ある世界において、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を限りなく制止し、名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。故にこの無常の世界に生れてくる素因は尽きて解脱したのである。

スッタニパータ  学生ジャトゥカンニンの質問1099の解説

1099 過去にあったもの(煩悩)を涸渇(こかつ)せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

 

 

 

過去に分別したものもの(煩悩)を涸渇(こかつ)せしめよ。未来には人間的思考の運動(分別)を止めて、そなたに何ものもないようにせよ。中間すなわち現在においても、そなたが人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を止めて、何ものにも執著(しゅうじゃく)しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

 

 

 

スッタニパータ  学生ジャトゥカンニンの質問1098の解説

1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り超(こ)えた人(ブッダ)に〈欲のないこと〉をおたずねしようとして、ここに来ました。安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼(まなこ)のある方(かた)よ。先生!それを、あるがままに、わたくしに説いてください。

 

 

1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克(か)つようなものです。智慧ゆたかな方(かた)よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」

 

 

1098 師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ー出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。

 

師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りのもとである人間的思考の運動を制せよ。ーこの運動から出たところの出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。両極端を離れて取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。この世は無常であり変化するものである。

 

スッタニパータ  学生カッパの質問 1095の解説

1095 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、悪魔に伏せられない。かれらは悪魔の従者とはならない。」

 

 

人間的思考の運動による反応の仕方をよく知って、よく気をつけ、現世において全く両極端の煩(わずら)いを離れた人々は、悪魔(執着)に伏せられない。かれらは悪魔(執着)の従者とはならない。かれらは自らを制し荒波を渡り終わり遂には彼の岸へと到達したのである。

スッタニパータ  学生カッパの質問 1094の解説

1094 いかなる所有もなく、執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

 

 

人間的思考の運動を制止し、いかなる所有もなく、両極端に分けて執着して取ることがないこと、ーこれが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それはこの無常の世から遠ざかりし老衰と死との消滅である。

スッタニパータ  学生カッパの質問 1093の解説

1092 カッパさんがたずねた、「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(す)(避難所、よりどころ)を説いてください。あなたは、この(苦しみ)がまたと起らないような洲(避難所)をわたくしに示してください。親しき方よ。」

 

1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。

 

 

師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。この無常の世には、極めて恐ろしい激流(変化)が渦巻いている。その激流(変化)が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、すなわちこの無常の世に生れ老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。

 

スッタニパータ  学生トーデイヤの質問 1091の解説

1090 「かれは願いのない人なのでしょうか?あるいは何かを希望しているのでしょうか?かれは智慧があるのでしょうか?あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?シャカ族の方よ。かれが聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方(かた)よ。」

 

1091 〔師いわく〕、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に執著していない。」

 

師いわく〕、「かれは人間的思考の運動による両極端の願いがない人である。かれは両極端に偏った好きなものを欲したり、嫌いなものを排除しようなどをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし人間的思考の運動による欲望によって智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人間的思考の運動を制した人であると知れ。かれはいかなる人間的思考の運動による反応の仕方をも所有せず、この無常の世界がおりなす欲望の生存に執著していない。」

 

スッタニパータ  学生トーデイヤの質問 1089の解説

1088 トーデイヤさんがたずねた、「諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑(ぎわく)を超えた人、ーかれはどのような解脱(げだつ)をもとめたらよろしいのですか?」

 

 

1089 師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、諸々の疑惑を超えた人、ーかれには別に解脱は存在しない。」

 

 

 

師(ブッダ)は答えた、「トーデイヤよ。人間的思考の運動を制止し、諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、五智を獲得し、疑惑を超えた人、ーかれにはその他に解脱を求めるべき修行方法は存在しない。」自らを制し諸々の激流を渡り終わったかれは、すでに彼の岸へと到達し解脱したのである。

 

スッタニパータ  学生ヘーマカの質問1087の解説

1087 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰(き)している。世間の執著を乗り超えているのである」と。

 

 

この世において、目から入る情報、耳から入る情報、心で感じる情報を人間的思考の運動(好き⇔嫌い)で分けない。すなわち両極端にとらえることなく中道を守ること。このことをよく知って、自らの反応の仕方によく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いである人間的思考の運動を離れた人々は、常に安らぎである中道に帰(き)している。世間の執著のもとである反応の仕方を乗り超えているのである」と。