スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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2018年

スッタニパータ  洞窟についての八つの詩句777の解説

777 (何ものかを)わがものであると執着して動揺している人々を見よ。(かれらのありさまは)ひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ー諸々の生存に対して執着することなしに。

 

 

 

何ものかをわがものであると執着して動揺している人々を見よ。かれらのありさまはひからびた流れの水の少ないところにいる魚のようなものであり、この無常の世(変化ある世界)で執着をすること、それは、ひからびたところに存在する水の如く失われていくのである。それを追い求める魚は、水を得ることすらできないのである。これを見て、「わがもの」という思いを離れて行うべきである。ー諸々の生存に対して執着することなしに。無常を知って、人間的思考の運動(好き⇔嫌い)を止め、この変化ある世界へ戻ってきてはならない。

スッタニパータ  洞窟についての八つの詩句776の解説

776 この世の人々が、諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。

 

 

 

この世の人々が、諸々の生存に対する人間的思考の運動(好き⇔嫌い)による妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたしは見る。人間的思考の運動(快⇔不快)にとらわれている人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、この無常の世で妄執によって生れ、生れたものは、また死に直面して泣くのである。

スッタニパータ  洞窟についての八つの詩句775の解説

775 だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、そのために不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。

 

 

 

だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、人間的思考の運動(快⇔不快)による欲望のために不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。それは運動をするので必ず逆の現象が目の前に現れるのである。

スッタニパータ  洞窟についての八つの詩句774の解説

774 かれらは欲望を貪り、熱中し、溺(おぼ)れて、吝嗇(りんしょく)(物惜しみ、ケチ)で不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲観する、ー「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。

 

 

 

かれらは人間的思考の運動(快⇔不快)のままに、欲望を貪り、熱中し、溺(おぼ)れて、それを得るために、吝嗇(りんしょく)(物惜しみ、ケチ)で不正になずんでいるが、死時には、全てを失い、苦しみにおそわれて悲観する、ー「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。それは、運動をするので快を得たとしても必ず不快が目の前に現れるのである。

スッタニパータ  洞窟についての八つの詩句773の解説

773 欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも顧慮(こりょ)しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。

 

 

 

人間的思考の運動(快⇔不快)による欲求にもとづいて快を貪り求め生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が人間的思考の運動に気をつけて解脱させてくれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方で顧慮(こりょ)しながら、これらの目の前の欲望または過去の欲望を貪(むさぼ)る。

スッタニパータ  洞窟についての八つの詩句772の解説

772 窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、執着し。多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実に(遠ざかり離れること)(厭離)(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。

 

 

 

この無常の世に執着をし、窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、多くの(煩悩)に覆(おお)われ、迷妄(めいもう)のうちに沈没している人、ーこのような人は、実に無常の世から遠ざかり離れることである厭離(おんり)から遠く隔(へだ)たっている。実にこの無常の世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからである。このような人々は、この世に生れては、死に、また生れる。

 

スッタニパータ  欲望771の解説

771 それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

 

 

 

それ故に、人は常に自らの人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それら諸々の反応の仕方による欲望を捨て去って、激しい執着による誘惑の流れを渡り、彼の岸へと到達せよ。

 

 

 

スッタニパータ  欲望769、770の解説

769 ひとが、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、

 

770 無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。

 

 

ひとが、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴婢(ぬひ)、僱人(やといにん)、婦女、親族、その他いろいろの欲望を貪り求めると、それを手に入れたとしても、この無常の世では運動をするので、無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち危い災難(かれが考える全く逆のもの)がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた船に水が浸入するように。それを知って、修行者は、人間的思考の運動による好き嫌いに分けた運動を制し、人間的思考の運動を制し苦を回避せよ。例え好きなものを得たとしても、それは運動をするので、全く逆のもの嫌いがかれについてまわるのである。故に人間的思考の運動による喜びを捨てることが肝要である。

 

スッタニパータ  欲望778の解説

768 足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世で執着をのり超える。

 

 

 

足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、自らの人間的思考の運動、すなわち人間的思考の運動による反応の仕方によく気をつけて両極端の反応の仕方を制し、諸々の欲望を回避する人は、この世で執着(苦)をのり超える。

 

スッタニパータ  欲望776,767の解説

766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

 

 

767 欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

 

 

人間的思考の運動による両極端の欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくいくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。このように人間的思考の運動(喜⇔苦)の運動を繰り返すならば、かれには、禍福の如く荒波が襲いかかる。あるときは喜び、あるときは苦しむ。この人間的思考の喜びを捨てない限りそれは運動をするので、かれには苦しみが牛車のごとく付いてまわるのである。