824 かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと説く。「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執(こしゅう)している。
人間的思考の運動のままに修行を行う(我が身の行)とそこには、正⇔誤の運動が存在する。かれらは「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、他の諸々の教えは清らかでないと説く。これが正⇔誤の運動である。「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、それぞれ別々の真理に固執(こしゅう)している。このこだわりこそ人間的思考の運動なのである。それは運動をするので、あるときは正しく見えるがあるときは、誤りに見えてくる。そしてかれの脳裏には疑念が生まれるのである。このことわりを知ったならば、修行者は、自らの運動に注視し、その運動を止めよ。その運動が存在する限り、修行は進まぬのである。