907 真の修行者は、他人に導かれるということがない。また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。それ故に、諸々の論争を超越している。他の教えを最も勝れたものだと見なすこともないからである。自らの人間的思考の運動(称賛⇔非難)を止め、自らが真理を観るからである。
真の修行者は何故他人に導かれることが無いのか?真理というものは他人から教えてもらう事が出来ないからである。それは悟りと言われる所以で、自ら悟るしかないのである。どのように悟るのか?自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて観察によって悟るのである。人間的思考の運動(快⇔不快)を止める修行なのであるから両極端に固執する事は無い。自分の考えが正しいとかあの人はおかしいとか分別しないのである。それを知って智慧ある修行者は自らの人間的思考の運動(快⇔不快)を止める事に怠ることなく努め遂には彼の岸へと到達したのである。
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