いつも、スッタニパータのホームページで勉強させていただいています。仏教には、色々な教えがありますよね?今まで色々勉強してきましたが人によって教える事が違い混乱するばかりです。このような時は、どのようにしたらよろしいでしょうか?
例えば、一頭の象がいるとします。人間的思考の運動(好き⇔嫌い)が止められないと自分の好きな部分だけしか見なくなりますので、それらの人々は、象の一部分しか見ていません。ですから、象の尻尾しか見ていない人は、尻尾の話しかしませんので筆のようだと言います。鼻しか見ていない人はホースのようだと言う。胴体しか見ていない人は、硬い壁のようだと言う。それぞれの意見を聞くとそれぞれの言っていることは正しいのですが、聞いている人はチンプンカンプンです。それは人間的思考の運動が止められないと、好きなところばかりを見て嫌いなところは排除する。全体が見えていない。ですから、自らの思考の運動を止めて全体を見る事によって、象本来の姿が見えてきます。このような修行をして、視野を広げて、大きくしていく事が修行です。修行序盤では、目の前の事もわからないし、自分の事さえもわからない状態です。それは、思考の運動によって視野が狭くなっているからです。思考を止める事に日々精進して、怠ることなく、行って、視野を広げる事によって、今まで見えなかった。あるいは見ようとしなかった部分に気づき、全体が見えるようになった時に、智慧となり、それが確信となるのです。
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