スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 質疑応答 修行への疑問

スッタニパータ 質疑応答 修行への疑問

スッタニパータで教えてらっしゃる人間的思考の運動(快⇔不快)を止めるという教えはよくわかりますが、それは、今までの自分の生き方を否定しているように感じます。私は、常に、自分が正しいと思った道を生きてきました。お釈迦様(スッタニパータ)の修行をすると言う事は、死人のように、世捨て人のように生きろと言う事なのでしょうか?

 

 

人は常に人間的思考の運動(快⇔不快)によって分別をして生きていますので、それを否定されると確かにそのように感じられる方もいらっしゃると思います。人間的思考の運動(快⇔不快)のまま生きるとどうなるのか?それは、半分を掴んで半分を捨てると言う事です。それを繰り返すと、どんどん視野が半分になって行きます。そうやって、自分をどんどん狭い場所に追い込んでいくのです。例えば、あなたが言われるように「正しい⇔間違えている」と言う人間的思考の運動のままに生きたとしましょう。この世の中に起きる戦争は、そのような正しいと言う思考である正義の名のもとに起こっているのです。コロナ渦での自粛警察もそうですね。その思考は、外に対してもですが、自分に対しても起こります。間違えた自分が許せない。そうやって自分を追い詰めて行きます。その思考から自殺なども起こるのです。お釈迦様がスッタニパータで教えられている教えは、その偏った一方的な思考=人間的思考の運動(快⇔不快)を止めて、反対のもの(自分や周りの事)も受け入れる事によって、視野を広げて行きます。つまり自分を殺す修行ではなく、自分を活かす修行です。視野を広げる事によって、今まで、見ようとしなかった部分(自分や周りの事)が見えてきます。見えてくることによってはじめて、全体がわかるようになる。そこに気づきが生まれ、それが智慧となるのです。つまり、あなたが、正しいと思っている事だけに教えがあるのではなく、間違えていると見ようとしない部分にも教えがあります。その見ようとしない部分があなたの闇となり迷いの流転に引き込むのです。あなたが見ようとしなかった部分にも視野を広げて全てを明らめて、全ての道を照らされて修行の道を進む事で初めて前に進めるのです。

 

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