850 かの聖者は、怒らず、おののかず、誇(ほこ)らず、あとで後悔するような悪い行いをなさず、よく思慮して語り、そわそわすることなく、ことばを慎(つつ)しむ。
かの聖者は、自らの思考による動きを制して、怒らず、おののかず、誇(ほこ)らず、あとで後悔するような悪い行いをなさず、よく思考の動きを思慮して語り、そわそわすることなく、ことばを慎(つつ)しむ。これらの怒り、おののき、誇り、行い、そわそわ、言葉は、全て人間的思考の運動(快⇔不快)による快を求める思考、あるいは不快を排除する思考の運動によって起こるのであるから、聖者はこれら両極端の運動を制して安穏を観たのである。
コメントを残す