スッタニパータ 789 (第6の視点)

もしも人が人間的思考の運動(信⇔擬)による見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が智識によって分別した状態で、苦しみを捨て得るのであるならば、それは煩悩=人間的思考の運動にとらわれている人が人間的思考の運動を止める事以外の他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある=人間的思考の運動が止められない人」と呼ぶ。