スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 悪意についての八つの詩句780の解説

スッタニパータ 悪意についての八つの詩句780の解説

780 実に悪意をもって(他人を)誹(そし)る人々もいる。また他人から聞いた事を真実だと思って(他人を)誹る人々もいる。誹ることばが起っても、聖者はそれに近づかない。だから聖者は何ごとについても心の荒(すさ)むことがない。

 

 

実に人間的思考(好き⇔嫌い)によって他人の悪口を言う人々もいる。また、他人から聞いた事によって人間的思考(好き⇔嫌い)の運動をし、他人の悪口を言う人々もいる。悪口を言う人々がいても聖者は、人間的思考の運動をすることは無いのでそれに近づかない。だから、聖者は、何事についても、人間的思考が動く事はない。人は、常にこの二元の運動をしている。すなわち好き⇔嫌いである。他人を見ては、自分に都合が良ければ、好きと思うし、都合が悪ければ嫌いだと思う。そして、自分の意に沿わなければ悪口を言うのである。それは、運動をするので、ある時は、自らが悪口を言い、ある時は悪口を言われる。結局やったり、やられたりをくり返しているだけなのである。そのように人間的思考の運動を止められない人々は、人の話を聞いては、他人が良いとか悪いとか常に運動しているのである。そして、やったり、やられたりを繰り返し、激流へ飲み込まれてゆく。修行者はそれを知って、人間的思考の運動に気をつけて、他人をそしる言動に気をつけよ。常に自らの心の動きによく気をつけて、荒波をのり超えるのだ。他人から話を聞いたときも、偏った見方にとらわれることなく、中道を歩め。そして、何人も排除することなく、全てを受け入れて、鏡のような境地に至るのである。

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