よく在家の解脱への道として、事(じ)・行(ぎょう)・理(り)の実践(三福道)と言われていますが、実際にその意味を理解し実践されている方は少ないようなのでここで、解説をします。
まず、事(じ)の供養これは身供養とも呼ばれ、いわゆる先祖供養(このことはスッタニパータには出てきませんが必要な部分)の事。実際に先祖供養が無いスリランカの僧侶などは、行、理の修行をされていても、事の供養が無いため、表面上はでは、修行を行っていても、心の中では、人間的思考の運動が止まっていません。我々には無数の先祖がおられ、そのほとんどは、人間的思考の運動のまま、お亡くなりになられるわけです。先祖のお霊は、我々の近くにいるわけですから、そのままの状態では、その運動の影響を受けます。簡単に言うと職場でも、家庭でも近くにいる人の影響を多少なりとも受けると思いますが、同じようなことですね。先祖がそのような状態では、中々自分だけ人間的思考の運動を止めることは難しくなる。そこでこの事(じ)の供養が必要となるわけです。
次に行(ぎょう)供養ですが、これは、我が身(自分勝手な修行という意味では無い)と言う、うちは、変わらない。すなわち人間的思考の運動のままでは、何も変わらないので、この人間的思考の運動を止めて中道を目指すと言う行(スッタニパータは、これが中心となる)です。自分の見方を捨て、こだわりを捨て中道を目指す。これが修行と言うわけです。
そして、理の供養、この成仏法すなわち人間的思考の運動を止める修行方法を広く世間に伝える。人間的思考の運動を止めることがいかに必要で苦を滅する道なのかを広く伝える。このことが理の供養と言われています。この3つを実践することが、解脱への近道となります。
皆さんは、実践出来ていますでしょうか?共に彼の岸へ到達しこの苦の世界(修練場?)から脱出(卒業)し遂には聖者を目指すのです。ここに来られた方はもう、道は見えているわけですから、実践あるのみですね。
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