1096 ジャトゥカンニンさんがたずねた、「わたくしは、勇士であって、欲望をもとめない人がいると聞いて、激流を乗り超(こ)えた人(ブッダ)に〈欲のないこと〉をおたずねしようとして、ここに来ました。安らぎの境地を説いてください。生まれつき眼(まなこ)のある方(かた)よ。先生!それを、あるがままに、わたくしに説いてください。
1097 師(ブッダ)は諸々の欲望を制してふるまわれます。譬えば、光輝ある太陽が光輝によって大地にうち克(か)つようなものです。智慧ゆたかな方(かた)よ。智慧の少いわたくしに理法を説いてください。それをわたくしは知りたいのです、ーこの世において生と老衰とを捨て去ることを。」
1098 師(ブッダ)は答えた、「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。ー出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。
ジャトゥカンニンよ。諸々の人間的思考の運動による欲望に対する貪(むさぼ)りを制せよ。その人間的思考の運動から出たところの出離(しゅつり)を安穏(あんのん)であると見て、両極端に分ける事をやめ、取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたたちにとって存在してはならない。人間は、人間的思考の運動によって快と感じたものを欲しいと感じそれを取る。また、不快と感じたものを捨てる。この運動を繰り返して、禍福が縄のごとく苦楽が襲いかかるのであるから、その運動から出ることである。
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