1092 カッパさんがたずねた、「極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のために、洲(す)(避難所、よりどころ)を説いてください。あなたは、この(苦しみ)がまたと起らないような洲(避難所)をわたくしに示してください。親しき方よ。」
1093 師(ブッダ)は答えた、「カッパよ。極めて恐ろしい激流が到来したときに一面の水浸しのうちにある人々、老衰と死とに圧倒されている人々のための洲(避難所)を、わたくしは、そなたに説くであろう。
当時のインドでは、度々水難に人々は襲われ、水のこない州に非難していたと事からこの表現がよく使われた。ちょうど、現在の日本でも同じような現象が起きている。この世は無常であるから、我々は、常に変化の世界に住んでおり、洪水などが起こって、死の恐怖に見舞われることもあるのである。また、生を受けた者は必ず死に、若き者も必ず老いる。この世は無常なのである。それを知らずして、人は苦を生じる。そして常住を求めて執着をしてまた、この無常の世に生まれてくる。この生⇔死の運動そして変化ある時間の運動すなわち苦⇔楽の運動を制止したとき、人は安穏を観ることが出来るのである。
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