869 「快と不快とは何にもとづいて起るのですか?また何がないときにこれらのものが現われないのですか?また生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているものを、われに語ってください。」
870 「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る。感官による接触が存在しないときには、これらのものも起らない。生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているもの(感官による接触)を、われは汝に告げる。」
人間的思考の運動すなわち快⇔不快は、どこから起こるのか?それは、感覚的感受すなわち目で見て感じ、耳で聞いて感じ、鼻で臭って感じ、舌で味わって感じ、肌で感じ、意識で感じる。これらの感じたものをすぐに快と不快に分ける。この感受がなければ、快⇔不快も起こらない。この感受は人間が生起することによって、生まれてきたときに備わり、消滅すなわち死んだ時になくなる。感受によって、二元の運動が生まれ、二元の運動によって生起する。生起することによって感覚的感受が生じるのである。これによって人は輪廻する。人は知らねばならぬ。この感じ方を変えるのだ。快、不快の両極端に分けてはならぬ。その2つに分ける運動を止めて中道を保ち、荒波を渡り終わったもの。かれはもはやこの無常の世に生まれてくることはない。
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