スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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解脱への道

解脱への道

まず、自分の感覚的機関すなわち、目、耳、鼻、舌、蝕、意識に集中し、どのような反応の仕方をしているのか?

を観察し、人間的思考の運動(快⇄不快)を止めます。

次に、その人間的思考の運動を止めたら、目の前に現れたものに集中して、観察します。

そうすると、現れるものが変化している事に気づきます。

その常に変化する事を知って、この世が無常である事に気づきます。

この世が無常である事を知ることによって、この世は、苦であることを知ります。

そこから、更に自らの感覚機関からの反応の仕方に集中すると、反応の仕方をも変化する事を知ります。

自らの変化を自覚して、自らが無常である事を知ります。

自らが無常であることに気づき、自らと思い込んでいる存在は、無いことに気づきますそれが、無我です。

それによって、全ての執着から、離れようとする心が生じます。それが厭離です。

その状態の魂を観察すると、本来の魂は、清らかで、汚れのない玉のような光であることがわかります。

更に集中するとその輝きは、増して行きます。そして蓮華座に手が届くようになるのです。

 

私たちの心は、今まで、どうだったのでしょうか?

両極端の反応すなわち中道では、無い状態の時は、その両極端に執着をし、その執着である煩悩が魂を覆い、鉄の塊のように燃えていたのです。

それが瞋であり、瞋があるという事は、貪りがあるわけです。

無常を知らない状態で、常住を貪る事で、自分を見失うそれが痴です。

私たちは、これまで、この貪瞋痴の無限ループに落とし込まれて、この苦の世界をさまよい、死んでは、また生まれ、生まれたら必ず死ぬのですから、その苦は止みません。

 

よく、修行をぼちぼち始めますと言う言葉も耳にします。

本当にそれで良いのでしょうか?

私は、以前、自らの周りの人々が苦しんでいることが辛くて、非常に苦しみました。

何故周りの人々は、こんなにも苦しむのか?苦しむ姿は、見たくない。それが苦しい。

一見どんなに幸せそうに見える人でも、話してみると、やはり苦しんでいるではないですか?

でも、それは、当然だったのです。この世界は、苦の世界なのですから。

それに気づいて、この世界から、少しでも多くの人を助けたいと思った。

そのためには、自らが、知ってもらうしかないのです。

この縁を最後の仏縁だと思って、どうか知ってください。

この世界も残り少ないと感じて、今生で、光のように輝くのです。

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