スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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02月

スッタニパータ  学生アジタの質問1035の解説

1034 アジタさんがいった、「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎまもるものは何ですか?その流れは何によって塞(ふさ)がれるのでしょうか?それを説いてください。」

 

 

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

 

 

師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、人間的思考の運動による反応の仕方に気をつけることである。自らの反応の仕方によく気をつけることが煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは、人間的思考の運動を止め、中道を確立したのち仏性が目覚め智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

スッタニパータ  学生アジタの質問1033の解説

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆(おお)われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間を汚すものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」

 

 

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明(むみょう)によって覆われている。世間は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

 

師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無常を知り得ない無明(むみょう)によって覆われている。世間は人間的思考の運動(快⇔不快)によって貪(むさぼ)りと人間的思考の運動を止めようとしない怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。人間的思考の運動による快を貪る欲心が世間の汚れである。無常による人間的思考の運動による反復に基づいた苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

スッタニパータ  サーリープッタ 975の解説

975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

 

 

修行僧は、自らの人間的思考の運動による反応仕方によく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する人間的思考の運動による欲望を抑制せよ。かれは適当な時に自らの人間的思考の運動による反応の仕方を正しく考察し、心を統一して、人間的思考の運動による反応を滅ぼせ。そうして次の段階で仏性を目覚めさせる段階へと入る。これが中道から仏道への道である。

 

 

欲望と、洞窟と、悪意と清浄と、最上と、老いと、メッテイヤとバスーラと、マーガンディヤと、死ぬよりも前にと、争闘と、二つの〈並ぶ応答〉と、迅速と、武器を執ることと、サーリープッタの質問とで、十六になる。これらの経はすべて〈八つの詩句の章〉である。

スッタニパータ  サーリープッタ 965の解説

965 異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた善を追求して、他の諸々の危難にうち勝て。

 

 

異なった他の教えを奉ずる輩(ともがら)をも恐れて人間的思考の運動による反応をしてはならない。ーたといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。ーまた中道を追求して、他の諸々の人間的思考の運動による危難にうち勝て。聖者はいかなる時も中道を保つことである。

スッタニパータ  サーリープッタ 974の解説

974 またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲を抑制せよ。

 

 

またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらに対する人間的思考の運動を制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する人間的思考の運動である快⇔不快を抑制せよ。これが中道であり聖者への道である。

スッタニパータ  サーリープッタ 973の解説

973 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。

 

 

 

他人からことばで警告されたときにも、心が人間的思考の運動をすることなく、聞かねばならぬ。ともに修行する人々に対する人間的思考の運動をする心を断て。寂静な心持ちで、ことばを発せよ。その時に人間的思考の運動によって動揺したことばを発してはならない。両極端な反応による人々をそしることを思ってはならぬ。修行者は、どのようなときも中道を心がけ、自らの心による反応の仕方、言葉による反応の仕方、行動による反応の仕方すなわち身口意である3つの反応の仕方に気をつけるのである。心で反応したときは、口に現れ、口で反応したときには行動に現れる。いずれの場合もよく気づくことである。そうして全ての荒波を制したときに修行者よ、汝は彼の岸へと到達するであろう。

スッタニパータ  サーリープッタ 972の解説

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

 

眼を下に向けて小動物を踏まないように行動し、人間的思考の運動の欲によって、うろつき廻ることなく、人間的思考の運動を制する瞑想に専念して、中道を歩み大いにめざめておれ。人間的思考の運動を制し心を平静にして、中道による精神の安定をたもち、人間的思考の運動がもたらすところの思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。これが苦を滅する道である。

スッタニパータ  サーリープッタ 971の解説

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

 

次に托鉢時における修行の心得が述べられた。適当な時に食物と衣服とを得て、ここで最低限の量に満足するために、衣食の量を知れ。かれは衣食に関して、人間的思考の運動(快⇔不快)を制して欲することなく、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られても人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、あらあらしいことばを発するような反応の仕方をしてはならない。人間的思考の運動(快⇔不快)に流されて怒りままに人々をそしることを想ってはならぬ。このように師は述べられた。