スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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01月

スッタニパータ  武器を執ること 943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

 

人間的思考の運動によって欲したものを得るために虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。目から入る情報も、美しい⇔醜いに分ける事なく、美しいすがたに愛着を起こすな。また人間的思考の運動によって欲する物を得て立ち上がる慢心を知りつくしてなくすようにせよ。自らの反応の仕方に注意するとともに、周りにもよく気をつけ、粗暴になることなく、ふるまえ。そして修行者は、安らぎへと到達するのである。

 

スッタニパータ  武器を執ること 942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

 

 

安らぎを心がける人は、しっかりと目を覚まし、自らの反応の仕方に集中せよ。人間的思考の運動による反応の仕方をしないように集中することを怠ってはならない。自らに付着する人間的思考の運動による先祖の想いをも悟し、常に反応の仕方に注視せよ。そのことを怠らないならば、修行者よ汝は彼の岸へと到達するであろう。

スッタニパータ  武器を執ること 941の解説

941 聖者は誠実であれ。傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。

 

 

聖者は誠実であれ。人間的思考の運動を制して傲慢(ごうまん)でなく、詐(いつわり)りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪(よこし)まな貪りと慳(ものおし)みとを超(こ)えよ。これらは全て人間的思考の運動に関連して起こる。人間的思考の運動「高慢⇔悲観」により高慢が起こり、「快⇔不快」の運動により何かを得るためにあるいは不快を排除するために「いつわり」が起こる。また、不快により悪口が起こり、怒りが生じる。また快を得れない場合も怒りが生じる。そうして、この両極端の欲望を貪り求める。またそれを得ては、手放したくなく「ものおしみ」が起こる。これらが起こった場合は、すべて人間的思考の運動をしているものと知れ。聖者はそれを知って、あらゆる人間的思考の運動を制して遂には彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ  武器を執ること 940の解説

940 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々の束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の欲望を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

 

 

 

そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。ー世間における諸々のである人間的思考の運動によって分別された束縛(そくばく)の絆(きずな)にほだされてはならない。諸々の人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方を究(きわ)めつくして、自己の安らぎを学べ。

スッタニパータ  武器を執ること 939の解説

939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。

 

 

 

この煩悩の矢に貫かれた者すなわち人間的思考の運動を止められない人々は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、あちこちを駆(か)けめぐることもなく、沈むこともない。人は、人間的思考の運動によって、快⇔不快の運動をし、快を求めて、あるいは不快を排除しようと駆け巡るのである。そして快をつかむが、それは運動をするので必ず不快へと変化する。そうして沈むのである。この理を知ったならば、修行者よ、自らの人間的思考の運動を制して安らぎを学べ。

スッタニパータ  武器を執ること 938の解説

938 (生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。

 

 

 

 

生きとし生けるものは死に直面したときにおいては逆さづりに会うほどに苦しむのを見て、わたくしは気の毒になった。またわたくしはその生けるものどもの心の中に見がたき人間的思考の運動による煩悩の矢が潜(ひそ)んでいるのを見た。すなわち人は、死ぬまでにこの人間的思考の運動を制する事ができなければ、逆さづりに合うほどの苦しみを伴うのである。人間の人間的思考の運動による執着が最も強い対象は自らの肉体と自らのものだと思い込んでいる手にしている物だからである。

スッタニパータ  武器を執ること 937の解説

937 世界はどこも堅実(けんじつ)ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。

 

 

世界はどこも中道ではない。どの方角でもすべて運動している。わたくしは自分のよるべき住所を求めていたのであるが、すでに死や苦しみなどにとりつかれていないところを見つけなかった。人間的思考の運動によって人は、執着をする。その苦しみ、禍福による苦しみ、その念が、あらゆるところに、存在しているのである。人は、この人間駅思考の運動によって苦しみ、それに気づかず迷い彷徨う。その念に触れると同調してゆく、そうして、また人間的思考の運動を繰り返すのである。ゆえに修行者は、自らの人間的思考の運動に常に気をつけ、存在する念に同調することもなく中道を保ち彼の岸へと到達せよ。

 

スッタニパータ  武器を執ること 936の解説

936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。

 

 

 

水の少ないところにいる魚のように、人々が慄(ふる)えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。これは、人間的思考の運動(戦争⇔平和)である。人々は、繰り返される人間的思考による平和を目指して戦争を繰り返す。これは、必ず運動をするので、平和らしきものであり、真の平和ではない。時間とともに戦争へと運動するのである。それは、まるで水の少ないところにいる魚のようである。この両極端の運動を止めたところに真の平和があることを知るべきである。

 

スッタニパータ  武器を執ること 935の解説

935 殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。

 

 

 

 

殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから自らも打たれる恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭(いと)い離れたその衝撃を宣(の)べよう。争闘する人々もまた人間的思考の運動をしているのである。それは、打ち⇔打たれるである。それは運動をするので、あるときは打ちあるときは打たれる。それは、たとえ打ったとしても、必ず打たれると言う逆の現象がついてまわるのである。人間的思考の運動による欲望には必ず逆の恐怖がついてまわることを知って、修行者よ、人間的思考の運動を制して中道を歩め。

 

スッタニパータ  迅速 934の解説

934 かれは、みずから勝ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずから証する理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。

 

 

 

かれは、みずからの人間的思考の運動による反応の仕方(快⇔不快)に勝ち中道を保ち、他にうち勝たれることがない。他人から伝え聞いたのではなくて、みずからの運動を制し中道を保つことによって、理法を見た。それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、怠ることなく、つねに自らの反応の仕方に気をつけ、中道に帰して学べ。」ーこのように師(ブッダ)はいわれた。