スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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01月

スッタニパータ  武器を執ること 951の解説

951 「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような思いが何も存在しない人、ーかれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。

 

 

 

「これはわがものである」また「これは他人のものである」 というような人間的思考の運動による思いが何も存在しない人、ーかれは、このような、「わがもの⇔他人のもの」という運動による観念が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。この世は無常であり変化する世界である事を知って、ものごとを両極端に分ける想いを制して、執着をしてはならないと師は言われた。

 

スッタニパータ  武器を執ること 950の解説

950 名称と形態につて、〈わがものという想い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。

 

 

 

人間は人間的思考の運動により目の前のものを快、不快に分け名前を付け、形に執着をする。名称と形態につて、人間的思考の運動により2つに分ける思考を制止し、わがものという想いの全く存在しない人、また執着したものが、なくなったからといって悲しむことのない人、ーかれは実に世の中にあっても老いることがない。すなわち、その人間的思考の運動がこの世に時間を生み出し、変化ある世界を形成し、変化ある運動をする。その想いを制した聖者は、もはや時間を超越した存在であり、彼の岸へ到達しもどることはない。

 

スッタニパータ  武器を執ること 949の解説

949 過去にあったもの(煩悩)を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。

 

 

 

人間的思考の運動により過去に分別した煩悩を枯渇(こかつ)せしめよ。未来には汝に何ものも分別せぬようにせよ。現在においても汝が何ものをも分別して執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。修行者は常に自らの人間的思考の運動に気をつけよく反応の仕方を観察し過去に作ったクセを見抜き現在も修正して未来にもよく気をつけることで彼の岸へと到達するのである。

スッタニパータ  武器を執ること 948の解説

948 世間における諸々の欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。

 

 

 

世間における諸々の人間的思考の運動が起こす欲望を超え、また克服(こくふく)しがたい執着を超えた人は、運動に流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。人間は、人間的思考の運動により禍福が訪れるが、人々は運動の途中にある福を思いこがれ、災いを悲しむ。そして執着をする。聖者は、運動に流されず、両極端にこだわることはない。故にかれは、安らいでいるのである。

スッタニパータ  武器を執ること 947の解説

947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間において正しくふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。

 

 

かれは智者であり、修行の達人である。かれは理法を知りおわって、何かに頼ることがない。かれは世間において人間的思考の運動を制しふるまい、世の中で何びとをも羨(うらや)むことがない。かれは分ける事がないからである。聖者は中道を歩み遂には彼の岸へと到達する。

 

スッタニパータ  武器を執ること 946の解説

946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。

 

 

 

修行者でもある聖者は、真実から離れることなく、人間的思考の運動を制して中道である安らぎに立っている。かれは一切の人間的思考の運動による喜びを捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。この人間的思考の喜びには必ず同等の苦しみがついてまわることを知って、修行者よ中道に帰するのだ。

スッタニパータ  武器を執ること 945の解説

945 わたくしは、(牽引する者のことを)遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。

 

 

 

 

わたくしは、人間的思考の運動による反応の仕方を遁欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉(ほそく)と呼び、超(こ)えがたい欲望の汚泥(おでい)であるともいう。このことを知ったならば、修行者よ自らの人間的思考の運動(快⇔不快)による反応の仕方に日々気をつけ激流を乗り越えよ。

スッタニパータ  武器を執ること 944の解説

944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引(けんいん)する者〔妄執)にとらわれてはならない。

 

 

 

年老いたものは、古いものを好み、若きものは新しいものを好む。ものごとを新しい⇔古いに分けて人間的思考の運動をする。古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑(みわく)されてはならない。この世は無常であり空である事を知って、滅びゆくものを悲しんではならない。人間的思考の運動によって牽引(けんいん)する妄執にとらわれてはならない。このように修行者は、常に人間的思考の運動を制して中道を歩み彼の岸へと向かうのである。

 

スッタニパータ  武器を執ること 943の解説

943 虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

 

 

 

人間的思考の運動によって欲したものを得るために虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。目から入る情報も、美しい⇔醜いに分ける事なく、美しいすがたに愛着を起こすな。また人間的思考の運動によって欲する物を得て立ち上がる慢心を知りつくしてなくすようにせよ。自らの反応の仕方に注意するとともに、周りにもよく気をつけ、粗暴になることなく、ふるまえ。そして修行者は、安らぎへと到達するのである。

 

スッタニパータ  武器を執ること 942の解説

942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰(たいだ)を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

 

 

 

 

安らぎを心がける人は、しっかりと目を覚まし、自らの反応の仕方に集中せよ。人間的思考の運動による反応の仕方をしないように集中することを怠ってはならない。自らに付着する人間的思考の運動による先祖の想いをも悟し、常に反応の仕方に注視せよ。そのことを怠らないならば、修行者よ汝は彼の岸へと到達するであろう。