スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ  並ぶ応答ー長篇 899の解説

スッタニパータ  並ぶ応答ー長篇 899の解説

899 もしもかれが戒律や制戒を破ったならば、かれは〈戒律や制戒の〉つとめにそむいて、おそれおののく。(それのみならず、)かれは「こうしてのみ清浄が得られる」ととなえて望み求めている。たとえば隊商からはぐれた(商人が隊商をもとめ)、家から旅立った(旅人が家をもとめる)ようなものである。

 

 

 

もしもかれが戒律や制戒を守ったならば「安心」し、戒律や制戒を破ったならば、かれは戒律や制戒のつとめにそむいて、おそれおののき「不安」となる。それのみならず、かれは「こうしてのみ清浄が得られる」ととなえて望み求めて執着をしている。たとえば隊商からはぐれた商人が隊商を見つけたときは「安心」し、家から旅立った旅人が家を見つけたときは「安心」するようなものである。人間的思考の運動である「安心」⇔「不安」という運動をしているのである。修行者は、このような人間的思考の運動にもよく気をつけ、何かに頼ってはならない。安心とは、荒波の上に泡を作るようなものである。その泡は、無常の世では、儚くも崩れ去り不安へと変化する。修行者は、泡を作らず、何かに頼ることもなく、自らの反応の仕方に日々注視して荒波を乗り越え、遂には彼の岸へと到達するのである。

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