スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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07月

スッタニパータ 学生ナンダの質問1080の解説

1079 ナンダさんがいった。「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、(哲学的)見解によって、また伝承の学問によっても、清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。そのほか種々のしかたで清浄になれるとも言います。先生!かれらはそれらにもとづいてみずから制して修行しているのですが、はたして生と老衰とを乗り超(こ)えたのでしょうか?わが親愛なる先生!あなたにおたずね致します。それをわたくしに説いてください。」

 

 

1080 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。これらの〈道の人〉・バラモンたちはすべて、〈哲学的〉見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれらにもとづいてみずから制して行っていても、生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う」

 

 

 

これらの人間的思考の運動が止まっていない道の人・修行者たちはすべて、自らの二元の思考すなわち快⇔不快の運動にもとづいて、快と感じる理想を追求し、哲学的見解によって清浄になり、また伝承の学問によっても清浄になると説く。戒律や誓いを守ることによっても清浄になるとも説く。そのほか種々のしかたで清浄になるとも説く。たといかれらがそれら人間的思考の反応の仕方にもとづいてみずからを制して行っていても、二元の運動を制していないが故に、あるときは、理想とした姿が目の前に現れ、またあるときは、全く逆の姿として現れる。人々は、理想とした一時的な姿を見て、それを追求するが、それは運動をするので、必ず逆の現象が起こるのである。この人間的思考の運動を制しない限り、かれらは生と老衰とを乗り超えたのではない、とわたしは言う。

 

スッタニパータ 学生ナンダの質問1078の解説

1077 ナンダさんがたずねた、「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか?世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか?あるいは〔簡素な〕生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」

 

 

1078 (ブッダが答えた)、「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

 

 

ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、哲学的見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。自らの人間的思考の運動を止めて煩悩の魔軍を撃破して、苦悩なく、呂極端を望むことなく行う人々、ーかれらこそ聖者である、とわたしは言う。この人間的思考の運動が止まっていない状態の人間は、哲学的見解によって正⇔誤の運動をするために苦を生じ、知識によって正⇔誤の運動をするために苦を生じる。いかにその道を究めようとも、人間的思考の運動をしている限り聖者とは呼ばないのである。全ての、人間的思考の運動を制して行うもの。かれこそは、自らを制して苦悩なく彼の岸へ渡り終わった聖者だという。

 

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1076の解説

1075 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか?或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか?聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

 

 

1076 師は答えた、「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

 

 

 

人間的思考を完全に制止し、あらゆる執着の種を絶やしてしまった者には、もはや転生の素因を測る基準が存在しない。かれを論ずる余地は、もはや残されてなく、あらゆる転生の素因がすっかり絶やされたとき、かれを生まれさせる論議の道は絶えて、もはやこの無常の世には、戻らない存在となったのである。

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1074の解説

1073 「あまねく見る方(かた)よ。もしもかれがそこから退きあともどりしないで多年そこにとどまるならば、かれはそこで解脱して、清涼(しょうりょう)となるのでしょうか?またそのような人の識別作用は(あとまで)存在するのでしょうか?」

 

 

1074 師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである。」

 

 

師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって火としては数えられないように、そのように聖者は、この無常の世に存在する名称と身体(形)から解脱して滅びてしまって、存在する者としては数えられないのである。」人は、人間的思考の運動によってものごとを分け、それを取る。無常の世では必ず、いつかはは失われるのであるから、また想いによって生まれるのである。その想いを完全に制止した者、それが聖者と呼ばれる。

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1072の解説

1071 ウパシーヴァさんがいった、「あらゆる欲望に対する貪(むさぼり)りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するでありましょうか?」

 

 

1072 師は答えた、「ウパシーヴァよ。あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の〈想いからの解脱〉において解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

 

 

 

師は答えた、「ウパシーヴァよ。人間的思考の運動を制止してあらゆる欲望に対する貪りを離れ、快⇔不快の両極端に分けないことによる無所有にもとづいて、その他のものを捨て、最上の人間的思考の運動による想いからの解脱において完全に運動を制止して解脱した人、ーかれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう。」

スッタニパータ 学生ウパシーヴァの質問1070の解説

1069 ウパシーヴァさんがたずねた。「シャカ族の方よ。わたくしは。独りで他のものにたよることなくして大きな煩悩の激流を渡ることはできません。わたくしがたよってこの激流をわたり得る〈よりどころ〉をお説きください。あまねく見る方よ。」

 

 

 

1070 師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うことによって、煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

 

 

 

師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。自らの反応の仕方によく気をつけて、無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うこと、すなわちこの世は変化(無常)の世界であり、ものごとは、常住ではなく空であると知って、煩悩(ぼんのう)の激流を渡れ。人間的思考の運動を制することによって諸々の欲望を捨てて、五智に繋がり、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ。」

 

スッタニパータ 学生ドータカの質問1068の解説

1067 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」

 

 

1068 師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、ーそれは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。

 

 

師は答えた、「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、その対象に対しての自らの反応の仕方、すなわち人間的思考の分別(快⇔不快)する反応を制止しーそれは世の中における執著の対象であると知って、この無常であり変化し移り変わるこの苦の生存への妄執をいだいてはならない」と。

スッタニパータ 学生ドータカの質問1066の解説

1065 バラモンさま。慈悲(じひ)を垂(た)れて、(この世の苦悩から)遠ざかり離れる理法を教えてください。わたくしはそれを認識したいのです。わたくしは、虚空(こくう)のように、乱され濁ることなしに、この世において静まり、依りすがることなく行いましょう。」

 

 

 

1066 師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

 

 

師は言われた、「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの人間的思考を制止することによって得られる安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知って、自らの思考の運動によく気をつけて制止する修行を行い、世の中の執著(しゅうじゃく)を乗り超えよ。」

 

スッタニパータ 学生ドータカの質問1064の解説

1063 「わたくしは、神々と人間との世界において何ものも所有せずにふるまうバラモンを見ます。あまねく見る方(かた)よ。わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方(かた)よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」

 

 

1064 「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。」

 

 

 

ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者すなわち人間的思考の運動を制止することを怠る者をも解脱(げだつ)させ得ないだろう。ただそなたが人間的思考の運動を制して中道を歩み最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩(ぼんのう)の激流を渡るであろう。

 

スッタニパータ 学生ドータカの質問1062の解説

1061 ドータカさんがたずねた、「先生!わたくしはあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いてください。偉大な仙人さま。わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう。」

 

 

1062 師(ブッダ)が答えた、「ドータカよ。では、この世において賢明であり、よく気をつけて、熱心につとめよ。この(わたくしの口)から出る声を聞いて、自己の安らぎを学べ。」

 

 

この世において、何が人間的思考なのか?すなわち両極端の運動を知りつくして、自らの反応の仕方によく気をつけて、自らの運動を制することに熱心に努めよ。その中道である安らかな境地へ至り五智へ繋がって自己の安らぎを学べ。その人間的思考の運動を制すること、それこそが安らぎなのである。