スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 学生ナンダの質問1082の解説

スッタニパータ 学生ナンダの質問1082の解説

1081 ナンダさんがいった、「およそこれらの〈道の人〉・バラモンたちは、見解によって、また伝承の学問によっても清浄になれると言います。戒律や誓いを守ることによっても清浄になれると言います。(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います。聖者さま。もしもあなたが『かれらは未(いま)だ煩悩の激流を乗り超えていない』と言われるのでしたら、では神々と人間の世界のうちで生と老衰を乗り超えた人は誰なのですか?親愛なる先生!あなたにおたずねします。それをわたくしに説いてください。」

 

 

 

1082 師(ブッダ)は答えた、「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究(きわ)め明(あか)かして、心に汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』

 

 

1083 「偉大な仙人のことばを聞いて、わたくしは歓喜します。ゴーダマ(ブッダ)さま。再生の要素のない境地がみごとに説き明かされました。この世において(哲学的)見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨てて、また種々のしかたをすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々、ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたくしもまた説くのであります。」

 

 

 

わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆(おお)われていると、説くのではない。この世において人間的思考の運動を制止して、その二元の偏った見方による両極端の見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のこだわったしかたをもすっかり捨てて、すなわち、その道の喜びやこだわりを捨て、なにが妄執かをよく究(きわ)め明(あか)かして、心に二元の汚れのない人々ーかれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』とわたしは説くのである。』人間は、実に様々な人間的思考の運動をする。伝承の学問や戒律を守れば、安心し、守れなければ不安になるという。この安心⇔不安の運動である。また、伝承の学問や戒律を守っている者が正しく、それ以外の者は誤りであると言う。正⇔誤の運動である。この運動をしている限り、一時的に安心できても、運動をするので、時間とともに不安へと変化するのである。おおよそ、それらの人間的思考の運動は全て苦の元であると知って、修行者よ、自らの人間的思考の運動を制して、人間的思考の運動による喜びを捨て去って、彼の岸へ到達せよ。

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