スッタニパータ

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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06月

スッタニパータ 学生ティッサ・メッテイヤの質問1041の解説

1040 ティッサ・メッテイヤさんがたずねた、「この世で満足している人は誰ですか?動揺することがないのは誰ですか?両極端を知りつくして、よく考えて、(両極端にも)中間にも汚されない、聡明な人は誰ですか?あなたは誰を〈偉大な人〉と呼ばれますか?この世で縫(ぬ)う女(妄執)を超(こ)えた人は誰ですか?」

 

 

 

1041 師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。諸々の欲望に関しては清らかな行いをまもり、妄執を離れて、つねに気をつけ、究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには動揺は存在しない。

 

 

 

諸々の欲望に関しては清らかな行い。すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)を制することをまもり、両極端の運動を制することによって妄執を離れて、つねに人間的思考の運動(快⇔不快)の反応の仕方に気をつけ、自らの反応の仕方を究め明らめて、安らいに帰した修行者、ーかれには欲するものが手に入らない、または、失うような動揺が存在しない。このような修行者は、もはや苦を乗り越えていると知れ。

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1039の解説

1038 「この世には真理を究(きわ)め明(あき)らめた人々もあり、学びつつある人々もあり、凡夫(ぼんぷ)もおります。おたずねしますが、賢者は、どうかかれらのふるまいを語ってください。わが友よ。」

 

 

1039 「修行者は諸々の欲望に耽(ふけ)ってはならない。こころが混濁(こんだく)していてはならない。一切の事物の真相に熟達し、よく気をつけて遍歴せよ。」

 

 

 

 

修行者は、諸々の人間的思考の運動にもとづい欲望に耽ってはならない。人間的思考の運動によって迷ってはならない。人間的思考の運動を制して一切の事物の真相に熟達し、よく自らの反応の仕方に気をつけて遍歴せよ。

 

 

 

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1037の解説

1036 アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、そのことをわたしに説いてください。」

 

 

1037 「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅(しめつ)することによって、名称と形態とが残りなく滅(ほろ)びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

 

 

 

識別作用すなわち感受したものを快、不快に分ける事を止めて滅する事によって、名称と形態すなわちこの無常の世を形成する変化するものが滅び、もはやこの苦の世界に生まれてくることは無くなるのである。

スッタニパータ 学生アジタの質問1035の解説

1034 アジタさんがいった、「煩悩の流れはあらゆるところに向かって流れる。その流れをせき止めるものは何ですか?その流れを防ぎまもるものは何ですか?その流れは何によって塞(ふさ)がれるのでしょうか?それを説いてください。」

 

 

1035 師は答えた、「アジタよ。世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、気をつけることである。(気をつけることが)煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。」

 

 

世の中におけるあらゆる煩悩の流れをせき止めるものは、人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけることである。人間的思考の運動(快⇔不快)に気をつけることが煩悩の流れを防ぎまもるものである、とわたしは説く。その流れは、人間的思考の運動(快⇔不快)を制することによってつながる智慧によって塞(ふさ)がれるであろう。

 

 

スッタニパータ 学生アジタの質問1033の解説

1032 アジタさんがたずねた、「世間は何によって覆(おお)われているのですか?世間は何によって輝かないのですか?世間を汚すものは何ですか?世間の大きな恐怖は何ですか?それを説いてください。」

 

 

1033 師(ブッダ)が答えた、「アジタよ。世間は無明(むみょう)によって覆われている。世間は貪(むさぼ)りと怠惰(たいだ)のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

 

 

 

 

世間は、人間的思考の運動が止められない人々がさまよい困惑している無明のエネルギーによって覆われている。人間的思考の運動(快⇔不快)を制することが出来ない人々は、両極端を求めて貪り、人間的思考の運動を止めようとしない怠惰ゆえに輝かない。その追い求める欲心が汚れなのである。この無常の世において、両極端を求めるがゆえに苦悩が生じ、その両極端の思考がゆえに他を排除しようとする恐怖が世間に襲いかかる。それが世間の大きな恐怖なのである。

 

 

 

スッタニパータ サーリープッタ975の解説

975 修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱(げだつ)して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。」

 

 

 

修行僧は、よく気をつけて、5つの感覚的感受に加えて心で感じる人間的思考の運動(快⇔不快)を制して、6根の対する全ての反応を制して、これらのものに対する欲望すなわち人間的思考の運動(快⇔不快)を抑制せよ。全ての感覚的感受を制した修行者には、ものごとを知る智慧とつながり、理法を正しく考察できる。そして理を知り、心を統一して、暗黒を滅ぼせ。全てを知るかれは、遂にはブッダと呼ばれるのである。

スッタニパータ サーリープッタ974の解説

974 またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触(ふ)れられるものに対する貪欲を抑制せよ。

 

 

 

またさらに、世間には五つの塵垢(ちりあか)がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち5つの感覚器官から入る情報に対して人間的思考の運動(快⇔不快)の運動を制することである。目から入る情報であるところの色かたちを快、不快に分けてはならない。耳から入るところの情報である音声すなわち、褒められば、快と思い、けなされれば不快と思うことである。また舌で感じるところの味を快、不快に分けてはならない。鼻から入るところの香りを快、不快に分けてはならない。肌から感じるところの触(ふ)れられるものに対する感覚を快、不快に分けてはならない。これら5つの感覚的感受器官から入る情報を、両極端に分けないように常に気をつけ、塵垢を制したもの彼こそは、苦を制し安穏に満ちた聖者である。

スッタニパータ サーリープッタ973の解説

973 他人からことばで警告されたときには、心をおちつけて感謝せよ。ともに修行する人々に対する荒(すさ)んだ心を断て。善いことばを発せよ。その時にふさわしくないことばを発してはならない。人々をそしることを思ってはならぬ。

 

 

他人からことばで警告されたときには、反応の仕方に気をつけよ。ともに修行する仲間の中においても、人間的思考の運動すなわち、相手が発したことばに対して、両極端の反応をしてはならない。ましてや、両極端の反応により相手をそしるなどはもっての他である。何が修行なのか?日々周りに現れる事象に対しての反応の仕方である。その反応において、快⇔不快の運動を制して、中道を歩むもの彼こそは聖者と呼ばれる。

スッタニパータ サーリープッタ972の解説

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

 

外出する時は、足下に注意し、生き物を踏まないように歩み、必要以上にうろつき回ることなく、瞑想に専念して、人間的思考の運動に注視するために大いにめざめておれ。人間的思考の運動を制して心を平静にして、精神の安定をたもち、人間的思考の運動から来る思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

 

 

スッタニパータ サーリープッタ971の解説

971 適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、罵(ののし)られてもあらあらしいことばを発してははならない。人々をそしることを想ってはならぬ。

 

 

 

適当な時に食物と衣服とを得て、ここで少量に満足するために、衣食の量を知れ。目の前で起こる現象に対して、快⇔不快の運動をしてはならない。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎(つつ)しんで村を歩み、たとえ罵(ののし)られても、それに人間的思考の運動で反応をして不快に思い、あらあらしいことばを発してははならない。いちいち反応して、人々をそしることを想ってはならぬ。自らの人間的思考の運動によく気をつけ、運動による反応の仕方に常に気をつけ世の中を遍歴せよ。