スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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05月

スッタニパータ 迅速932の解説

932 諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その(不快な)ことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。立派な人々は敵対的な返答をしないからである。

 

 

諸々の出家(しゅっけ)修行者やいろいろ言い立てる世俗人に辱(はずかし)められ、その不快なことばを多く聞いても、あらあらしいことばを以て答えてはならない。聖者は、人々のことばを、快⇔不快と言った反応の仕方をしない。そのような、人間的思考の運動による反応の仕方を乗り越えたもの、かれこそは、聖者と呼ばれる人なのである。

スッタニパータ 迅速931の解説

931 虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。

 

 

全てにおいて人間的思考の運動を制止するのだ。この運動が起こり快、不快が生じたときに人は、それを欲し、手に入れるために虚言を言う。人間的思考の運動を制止して虚言をなすことなかれ。知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。また生活に関しても、知識に関しても、戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると想ってはならない。人は、勝れていると思えば「安心」する。これは、「安心」⇔「不安」の人間的思考の運動であると知れ。全てのこの二元の運動を制したとき、修行者は、彼の岸へ到達するのである。

 

スッタニパータ 迅速930の解説

930 また修行者は高慢であってはならない。また(自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。傲慢(ごうまん)であってはならない。不和をもたらす言辞を語ってはならない。

 

 

 

また修行者は高慢であってはならない。高慢が出るとき、そこには人間的思考の運動がある。「慢心」⇔「失意」である。また自分の利益を得るために)遠回しに策したことばを語ってはならない。これも人間的思考の運動による。快を得るためにの行動である。この世は無常であり失われる状態であることを知って傲慢(ごうまん)であってはならない。人間的思考の運動である「快」⇔「不快」に反応して、不和をもたらす言辞を語ってはならない。修行者は、全ての人間的思考の運動を制して、煩悩の荒波を渡り終わるのだ。

スッタニパータ 迅速929の解説

929 修行者は、売買に従事してはならない。決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。また村の人々と親しく交わってはならない。利益を求めて人々に話しかけてはならない。

 

 

 

修行者は、売買に従事してはならない。すなわち売れれば喜び、売れなければ悲しむ。この二元の運動を制止せよ。人間的思考の運動を制止して上手くいかなくとも決して誹謗(ひぼう)をしてはならない。村の人々と親しく交わってはならない。親しくすると言うことは、同時に敵対するものを作るのである。これもまた、親しい⇔敵対の運動である。利益を求めて人々に話しかけてはならない。人が何かを求めるとき、そこには人間的思考の運動がある、すなわち得られれば喜び、得られなければ悲しむ。「喜び」⇔「悲しみ」の運動である。この全ての苦のものである二元の運動を制止して修行者よ彼の岸へ到達するのだ。

スッタニパータ 迅速928の解説

928 修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。称讃されても、高ぶってはならない。貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。

 

 

修行者は、非難されても、意気消沈してはならない。称讃されても、高ぶってはならない。この「高ぶり」⇔「消沈」と言う思考の運動は人間的思考である。この運動が起こると、称賛を求めて欲が起こり、称賛を継続したいがためにものおしみが起こる。非難されることにより、悪口が起こる。これは、全て人間的思考の運動によるものだと知れ。それを知って修行者は、貪欲(とんよく)と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去り、遂には、彼の岸へ到達するのである。

スッタニパータ 迅速927の解説

927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いとを行ってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を行ったりしてはならぬ。

 

 

わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法(じゅほう)と夢占(ゆめうらない)いと相(そう)の占いと星占いによって心が運動してはならない。人間は、吉と聞けば、「安心」し凶と聞けば「不安」になるのである。そのように「安心」⇔「不安」の運動をする。この世は、無常であるので、吉と聞いてその状態に執着をしても、それは運動をし必ず逆の凶が目の前に現れるのである。逆もしかりである。鳥獣の声を占ったり、懐妊術(かいにんじゅつ)や医術を聞いても心が運動してはならぬ。全ての人間的思考の運動を制してかの聖者は、煩悩の荒波を渡り終えたのである。

 

 

スッタニパータ 迅速926の解説

926 多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさ(面倒くさがること)と偽(いつわり)りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とを捨てよ。

 

 

 

修行者は、必要以上に眠らぬように気をつけ、自らの心に集中し熱心に、人間的思考の運動を制することに努め、人間的思考の運動を止めることをめんどくさがることなく、止めていないのに止めているようにいつわるることなく、人間的思考の運動を増長する談笑をせず、遊技をひかえ、快を求めて淫欲に走ることなく、装飾による心の運動を制せよ。人間的思考の運動による快を得れば、それは運動をするので、必ず逆のものが目の前に現れる。すなわちそれは苦である。それを知って聖者は、全ての人間的思考の運動を制して彼の岸へ至るのである。

 

 

 

スッタニパータ 迅速925の解説

925 こころを安定させよ。うろついてはならない。後で後悔するようなことをやめよ。怠(なま)けてはならぬ。そうして修行者は閑静(かんせい)な座所・臥所(がしょ)(寝る場所)に住まうべきである。

 

 

 

修行者は、人間的思考の運動を制して心を安定させよ。両極端に偏ってはならない。人間的思考の運動に陥って、あとで後悔するようなことをやめよ。人間的思考の運動を止める修行を怠けてはならぬ。そして、人間的思考の運動による荒波を回避して中道を保ち閑静な状態に住まうべきである。

スッタニパータ 迅速924の解説

924 食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。

 

 

 

人間は、何かを手に入れては「安心」し、得られないと「不安」になる。このような「安心」⇔「不安」と言う人間的思考の運動を繰り返す。この世は無常であるから、何かを手に入れても、必ずそれは失われる。逆に手に入らなくとも変化をして行き状況は変わる。人間的思考の運動を繰り返すと、食物や飲料や硬(かた)い食べものや衣服を得ると「安心」し心は動揺する。またそれらが得られないと逆の「不安」へと心が両極端に運動し煩悩の荒波へと変化する。聖者はそれを知って、この「安心」⇔「不安」という運動を離れたところに住し、人間的思考の運動を止め遂には、安穏へと至るのである。

 

スッタニパータ 迅速923の解説

923 苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。

 

 

 

肌で感じることを「快⇔不快」に分けることなく、苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲観してはならない。現在の状態に固執すること。それは、この無常の世では、必ず失われ苦を生じるのであるから、生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、「不安」⇔「安心」と言う人間的思考の運動をすることなく、慄(ふる)えてはならない。