スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 並ぶ応答ー小篇883の解説

スッタニパータ 並ぶ応答ー小篇883の解説

883 或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽(きょぎ)である、虚妄(きょもう)である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の(道の人)は同一の事を語らないのであろうか?

 

 

人間は、自らの見方にこだわり執着をする。そのために視野が狭くなっているのである。その狭い視野では、様々な見方を知ることは出来ない。故に或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその見解をば、他の人々が「虚偽(きょぎ)である、虚妄(きょもう)である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の(道の人)は同一の事を語らないのであろうか?かれらは、同じものを見ていたとしても、それぞれの見方をするので、それぞれの見方がわからないのである。それは、象のしっぽしか見ていない者が、象の鼻しか見ていない者の話を理解できないことと同様に、双方が同じ象を見ているにもかかわらず、全く違う意見を言い、お互いに虚偽だと言うのである。聖者は、全体を見る。そして如実にそのものを知り理を知る。全てを知る聖者には、もはや論争に及ぶ余地は残されていないのである。

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