スッタニパータ suttanipata

スッタニパータは、お釈迦様が実際にお話しされたことばです。

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スッタニパータ 老い811の解説

スッタニパータ 老い811の解説

811 聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬(たと)えば(蓮(はす)の)葉の上の水が汚されないようなものである。

 

 

人間は、人間的思考(愛⇔憎)の運動により愛を求める。その愛には必ず反対のもの憎しみが付着しているのである。そして、人間的思考の愛は運動をするので、必ず求めていることとは、逆の現象が目の前に現れる。すなわち憎しみである。そして、その変化、あるいは運動がわからず悲しむ。そして失いたくない想いからものおしむのである。聖者の愛は、見返りを求めるのでは無い、与えるのである。自らが、周りを照らす。それが聖者と言われる。かれは、すでに愛⇔憎の運動を静止し汚されることはない。たとえば蓮の葉の上の水が汚されないように、不動のこころを持つものである。

 

 

 

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